やまよりいずるもの


/1


山に、松明を持った一段が分け入っていく。
一列に並んで、目的地に進んでいく。
中央には、綺麗に着飾った黒髪の少女――――――女というにはまだ若い、幼さの残った女性―――――――が。しかし、少女の表情は暗い。それに付き添う、少年の顔も暗い。
一団のしんがりを勤めるのは、初老の男。髪は白く染まり始めており、しかし顔にはまだ幾分の生気が残っている。
そして、何人もの男、女。そのうちの数人は、荷物を担いでいる。子供の姿はいない。総勢で、10人と少しくらい。


この集団からは、けして良いとはいえない雰囲気が滲み出ていた。それは、少女の表情のせいか、それとも。
「・・・・姉さん」
少女に付き添っていた、少年が口を開く。姉弟のようだった。
姉は、無理に笑って見せると、気にしないでね、と呟いた。
「・・・・」
それ以上何も言えず、弟は黙り込んでしまう。その姿を見て、姉は苦しそうにため息をついた。


しばらく歩くと、祠が見えた。
洞窟のようになっているところの前に、小さな祭壇がある。小さな祭壇の上には、漆塗りの杯が置いてあった。
荷物を持った男が前に出て行き、杯に酒を注ぐ。こぽこぽという音が響く。
暗い森に、松明の明かりが揺れる。それが、この森の神秘性をより高めているようにも見えた。
村長が、着飾った女性のほうを見、首で促した。
女性はそれを合図としたかのように、村長のほうに歩いていく。村長は何かを懐から出し、女性に渡した。
渡されたのは、短刀。主に儀式のときに使われる、刺突用の骨器。グリップとして皮が巻きつけてあり、鳥の羽のようなもので装飾されている。
女性は祭壇の前に歩いていった。足取りは、余りしっかりしているといえない。弟の少年が、悔しそうに歯軋りしたのを何人かの近くにいた大人が聞いた。
弟の方に、大人の誰かの手が乗った。純粋に少年を心配しての行動だったが、少年はその手を振り払った。
村長の、声が響いた。
「・・・・山神様。此処に贄を捧げます。何卒、村に、恵みの雨を・・・・・」
この山のふもとの村では、ここ数ヶ月に渡り、雨が降らない状態だった。夏の日照りは、容赦なく地面を焼く。
雨が降らない以上、農作物は萎れ、枯れる。一生懸命川の水を汲んできて撒いたりなどの努力はしたが、努力は今のところ実っていなかった。
そして最終手段として、この山に住むという神に供物を捧げ、雨を降らしてもらうという結果になったのだった。
供物の内容については、議論になった。
しかし村に供えられるだけの蓄えがない以上、人間を差し出すしかない、そう落ち着く結果となってしまった。
最悪のこととして来年のことを考えると、とてもではないが食糧を捧げることなどできない。せいぜい少量の酒が限度であった。
差し出されたのは仲の良い姉弟として周囲に慕われていた姉弟の、姉。


女の短刀が心臓へと向かっていく。
一度ピタリと先端を胸につけ、離し、力を込める。
・・・・しかし、動かない。手が震えて、腕の動かし方を忘れる。
「ねえ、さん・・・」
少年が、戸惑い呟いた。
その様子を、辛そうな眼差しで村長が眺めている。
「自害は辛かろう・・・仕方がないの」
村長は、荷物を担いできた男のほうによると、荷物から青銅の剣を取り出した。
「すまんな・・・が、これが村のためなんじゃ」
そして、剣を振り上げ・・・・

いつのまにか、誰かが剣の先端を握っていた。

「!?」
握っていたのは、白髪の青年だった。白髪といってもしらがではなく、元々その色の髪であったことをうかがわせる灰色掛かった物だった。
見たことのないその青年に、あっけに取られる村長に、青年は口を開いた。
「ちょっと、待ってくれな・・・・いや、別に俺、人を食べる趣味は無いんだよ・・・美味しくないからなぁ」
右手で剣を掴んでいるので、左手で頭をポリポリと掻きながら青年は言った。その後、眠そうな目を擦る。
「???」
困惑する一行。
「ああ、この姿じゃわかんないか・・・俺がこの山の主だよ」
「・・・・」
呆気に取られながらも、どこか納得する村人一行。この青年はあきらかに何かが『変』だった。そんな村人の意思を代表して、最初に村長が口を開く。
「・・・恐れながら申し上げますれば、そのような事を突然仰られても・・・・」
「・・・ん、証拠が欲しいってか」
めんどくさそうに、青年は返す。
「恐れながら」
そういう村長に青年は微妙な表情を浮かべる。
「神様を試す人間ってか・・・・それは本来やっちゃいけないことなんだぞ・・・ま、いいか」
と呟き。
バキッと、変な音がして。
「これじゃ、証拠に何ねぇかな?」
と、真っ二つに折れた青銅の剣を差し出すのだった。


とりあえず祭壇にあった杯から酒をのみ、祭壇に座り(行儀が悪い)、村長の話を聞いた山神。
村長以下、村人は全員平伏したが、山神の「堅苦しいこと、止めてくれ・・・・」の一言で、現在は妥協案として地面に座り込んでいる。当然、目線は村人のほうが下である。
しかしまぁ、なんとも滑稽な状況ではあった。
「あ―・・・雨を降らして欲しいのか・・・・」
「お頼み申し上げて・・・よろしいでしょうか?」
村長が聞く。山神は杯から酒を煽って、
「んー・・・俺自身は無理だけどな。俺は壊す専門だから・・・ま、知り合いに頼んでやるよ。たぶん、それでだいじょーぶ」
と、力なく笑った。
「それでは・・・・しかし、何かお礼を・・・・」
「お礼か・・・いや、別にいらないんだけどな・・・・」
「しかし、人身御供も・・・・」
「いや、だからほんとにいいってば。とくに人間捧げちゃダメ。俺食べないよ?」
困った顔を作る村長。その困った顔に、山神も困ったのか、提案をしてきた。
「あー・・・じゃあな。雨が降った後で良いから、お祭りしろ。村の真ん中ででっかい焚き火して、村人に酒を振舞って、食べ物出して。どうせ暇だろうから、遊びに行くから」
「そ・・・そんなことで、よろしいんですか?」
さらに困った顔になる村長に、
「よろしいってば。それでいいの。うし、けってい・・・・」
と、あくびをしたのだった。

村人があらかた帰ってしまったなか、例の着飾った女性と、その弟が山神に声をかけた。
「こ、このた、びは・・・お助け、いただき・・・ありがとう、ございま、ス」
「カチコチだよ、姉さん・・・・」
そんな二人に、山神は脱力風味で笑って返した。
「いやいや。たまたま起きててよかったよ・・・いつもは寝てるからね」
「寝ているの、ですか?」
「ん、大概はね・・・っていうか、さっきまで寝てたし」
と言うと、あくびをした。
「正直、あの生贄とかいうやつどうかと思うんだよ・・・だってさ、朝起きたら目の前に動物の死体転がってんだよ?悪意ある悪戯としか思えないじゃん・・・・」
と、ため息をつく様が全く神らしくなく、女性の緊張は、だいぶ解けていた。
「あの・・・・お名前は、何とお呼びすれば良いでしょうか」
それに、山神は、笑って。
「ん、じゃあ、サンロ、とでも呼んでくれればいいよ」
と、答えた。


/2


サンロは山から流れ出る川の、源流の所に来ていた。
水はまだ穢れなく、魚も生息する。村人はこの山を神の住む山として非常時以外入り込まないため、原生林に近い状態であるこの場所。
サンロは一杯手で水をすくい、口に運んだ。そして、頷く。
「カセン、いるんだろ?すまないけど出てきてくれるかい?」
そうサンロが口にすると、川の水に渦が生まれ、渦の中から水の竜が現れた。水の竜はその細長い体をくねらせながら空に飛び上がり、小さな雲を掴んでから急降下して、もう一度川に落ち、そして水飛沫の中にはいつのまにか、水のように透き通った少女が立っていた。水の上に立つようにして、そこにいる。
「呼んだか、山神?」
「よんだよ」
「そうか」
それだけの会話をこなした後、少女が口の端を吊り上げる。外見不相応なその仕草は、しかし思いのほか似合っていた。
「久しいな」
「そうだなぁ」
サンロも、笑みをこぼしながらため息をつく。
「で、用件はなんだ。御主の事だから、用件がある時以外会いになどこまい」
「ん、まぁそうだな・・・・」
一瞬間を置いて。
「すまないが、雨を降らせてくれ」
「雨・・・自然に振るを待つが道理だろうに・・・人間にでも唆されたか?」
「まぁ、そうだよ」
露骨に嫌そうな顔をする少女。
「ま、そういう顔すんな。いいだろ、人助けくらい」
「・・・・他でも無いおぬしの願いだ、やってやらんことはない、が」
そう言い、顔を顰めると。
「人間を余り相手にするな。ろくな目に会わんのは目に見えている」
といい、反論が来る前に少女は水に潜り、竜へと姿を変えた。竜はそのまま水を見に纏い、空高くへと飛び上がり、空で旋回した。
水飛沫が飛び散り、あたりに蒸気を撒き散らす。水滴が、数個サンロの顔に当たった。
それだけで温度がぐっと下がった気がするから不思議だな、とサンロは呆、と思考する。
そのまま竜は小さな雲の周りを飛び回り、水滴を増やし、雲を成長させた。雲はどんどん大きくなっていき、仕舞いには入道雲のような状態になった。
竜の姿のまま、少女が戻ってくる。
「ありがとうな、カセン」
「礼を言われるほどのことではないが」
「いやいや。俺には出来ないことだからな」
「・・・これでしばらくすれば、雲が成長して雨を降らすだろう」
「そうか・・・」
「それで、これからお主はどうする気だ」
「・・・・うーん、そうだな」
サンロは上を向いて考えると。
「暇だから、この川のあたりでぼっとしてるよ」
と、力なく笑った。
「ならば、われもそうしようか」
サンロは皮の靴を脱ぎ、足を川にひたして石に座った。
それにならうように、竜から少女へ姿を変え、カセンという名の竜神はサンロの隣に座った。
「いいとこだなー、ここ」
「あたりまえだろう。われがすんでいるところだぞ」
蝉の鳴き声が響く。ジーリジーリと、夏の音。足が冷たく、体全体が気持ち良い。あとしばらくしたら夕立を降らせるであろう入道雲を眺め、サンロは呟いた。
「気持ちいいなぁ・・・」
と。


日も暮れかかり、そろそろ入道雲がこちらに来たという頃合に、サンロは川から立った。
「帰るか?」
カセンが、首だけサンロに向け、聞く。
「ん、そうさせてもらうよ。多分明日は遊びにいくし」
「・・・・人間の里へか?」
「そうだよ」
「・・・・・・」
カセンはなんともいえない表情を作る。
「・・・・何もいうまい。忠告は、したぞ」
そういうと、川に溶けた。
サンロは靴を履き終え、川に向かって
「ありがとな、またくるから」
というと、自分の寝床の洞窟へと帰っていくのだった。




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