ライブラ



「やっと、見つけた…!」
 目の前の男は私を見るなりそう言った。
漆黒の瞳が私をまっすぐ見つめている。
「…はぁ?」
 私はといえばかなり間の抜けた声でそういっただけ。
自分でも無理ないことだと思う。
どう考えても男の顔に見覚えはないし、いきなり声をかけられる心当たりもない。
高校からの帰り道。夕暮れに染まる川原を見ながら一人家路をたどっていた私の目の前に、いきなり現れた男。本当に、どこから現れたのだろうか。土手の小道は一本道で、私の前は誰も歩いていなかったはずなのに。
「…えっと、どちらさまで?」
 しばらくの後に私はやっとそう聞くことが出来た。
「僕はカイル。この世界が危ないんだ。君の力を貸して欲しい」
 男は真顔でそうのたまった。
真顔だ。冗談の感じなどまったくない。
少しだけ長めの黒髪に黒い瞳、真面目そうな顔立ちの、細身の男。
瞳は角度によっては微妙に紫がかって見えて神秘的だ。
もしかしたら日本人じゃないのかもしれない。
ちょっとひょろっとしてるかな?って感じだけど結構かっこいいと思う。
でも、言ってる内容が…。
「………」
 私は黙ったまま2,3歩あとずさった。
「?どうした?」
 男が怪訝そうな顔で問い掛けてくる。
私はそれを無視してくるりと背を向けた。
「……ダッシュ!!」
 一声吼えて、全速力で駆ける。
世界が危ない?普通じゃないよ。漫画でも読みすぎて頭おかしくなったわけ?
そんな人にまともに付き合ってなんかいられない。
「あ、おい、ちょっと!?」
 かなりたって背後から男の呼ぶ声が聞こえてきた。
突然のことにしばらくぼーっとしてでもいたのだろうか。まぁ、それを狙ったわけなんだけど。
とにかくこれだけ離れていれば追ってきたって大丈夫だろう。
自慢じゃないけど足には自信がある。
あの男がどれだけ足が速くても、そう簡単には追いつけないはず。
しばらく行けば住宅街に入るから、追いついたってなにかするってことはないだろう。
いざとなったら近場の家に飛び込めばいい。
そんなことを考えながら走っていると…
『どん!』
 と、誰かにぶつかってしまった。
「あいたたた…。す、すいません!でも変な人に追われてて…!」
 謝罪の言葉もそこそこに、助けを求めようと顔を上げる。
「変な人、ね。ずいぶんひどい言われようだな」
 ……あの男がいた。
慌てて後ろを振り向く。誰もいない。
「嘘ぉ!?なんで!?」
 いくらなんでもあの距離を一気に縮めた上に私の前に出るなんて常人技じゃない。
「それを知りたいなら僕と一緒に来てくれ。説明はそれからだ」
 そう言って男が私の腕を掴む。
「じょ、冗談じゃないわよ!あなた頭おかしいんじゃないの?!世界が危ないとか、なんとか…。それに、知らない人にいきなりついてけるわけないでしょ?!」
「今はそんなことをいってる場合じゃない!本当に、世界が…!」
 いいかけて男は急にハッとした表情になる。
腕を掴む力も一瞬緩んだようだ。私はその隙を逃さず男の手を振り払った。
「いい加減にしてよねっ!」
 そして男から距離を取る。またすぐにつかまってしまうかと思ったけれど…。
「…くっ。もう来たのか…。今こられたら…」
 男は私のことなど無視して何か考え込んでいるようだった。
これは…逃げるチャンスかも?
即断即決。私は再びダッシュした。
また追いつかれるかもしれないけど、少しでも人家に近づけば気づいてくれる人もいるかもしれない。
 けれど、男は追ってこなかった。代わりに声だけが届く。
「…また来る!それまで身の回りには気をつけろ!君が僕に協力するのが嫌だとしても、『やつら』は君を見逃さない!」
 …『やつら』?
またわけのわからないことを…。
そう思いつつも何か気になってそっと振り返ってみる。
けれどそこにはもう誰の姿もなかった…。


「夢でも見たんじゃないの、お前?」
 いかに大変だったかと今日の出来事を報告した私にかけられた言葉がコレ。
「危ない目にあって命からが逃げてきた妹に対してそのセリフはないんじゃないの?」
「ンなこと言ったってなぁ…。現実味がなさすぎるぞ?変質者がいたってくらいならまだしも、はるか後ろにいたやつが気がついたら前にいた、なんてな。お前一応陸上部のエースだろ?」
「それは、そうだけど…。本当なんだから仕方ないでしょ!」
「はぁ〜。ま、そんなに言うならちゃんと警察に届けとかないとな?変質者がうろうろしてるんなら他の子だって危険だからな」
「あ、そっか。そうだね…動転しちゃって警察とか全然考えなかった。」
「ま、その辺は明日俺がやっとくさ。もう大丈夫だから今日は早く休め」
 そう言ってお兄ちゃんが私の頭をぽんぽんと優しく叩く。
「もう…子供じゃないんだからね?」
「子供だろ?どっこも成長してないもんなぁ、オマエ…」
 嘆かわしそうな視線の先には…。
「どこ見ていってんのよ!?信じらんない!!」
「ははは。怒るってことは自覚ありだろ?」
「もう、知らないっ!」
 私は地響きがするのではないかというくらい足を踏み鳴らしながら2階の自分の部屋へと向かった。


 この家は現在私と兄の2人暮らし。
父と母は数年前2人で結婚記念日の旅行へ行き、そこで事故にあって死んだ。
身寄りのなくなった子供といえば親戚に引き取られるのが普通なんだろうけれど。
いくら親戚だからって、いきなり他所の子どもを引き取ってくれといわれていい顔をするものは少ない。私と兄も含めて親族会議が開かれたが、明らかにみんな私たちを押し付けあっていた。
私は幼心にその光景に心痛め、兄の手をぎゅっと掴んでいた。
そのとき兄が言ったのだ。
「僕らは二人で大丈夫です」
と…。もちろん親族は皆反対した。
10歳年上の兄は当時まだ高校3年生だった。
生活していけるはずがないといわれた。
自分で引き取るのは嫌な親戚達も、ほっておくのは世間体が悪すぎると思ったのだろう。
必死で兄を説得した。
けれど兄は強硬だった。しばらくは両親の残してくれた貯金と保険金でなんとかなる。
自分も高校を出たら働いて、ちゃんと生活してみせる、と。
兄は本当になんとかして見せた。
私が今高校に通えているのも兄のおかげだ。
兄は私には決して弱音を吐いたことはなかったけれど、その苦労は並大抵ではなかったろう。
だから私は兄が大好きだ。
さっきだって、わざとふざけて私の気をまぎらわせようとしてくれた。
いつも守ってくれていた兄。
 でもそれだけにコンプレックスもある。
 私には、いまだ先の目標が見つからない。
せっかくお兄ちゃんが大事に育ててくれたのに。
就職?進学?みんなが夢に向かって一生懸命な中、私一人が何もなかった。
『光希ちゃんはすごいよね!』
 すごくなんかないよ…。
『やっぱり推薦でW大行くんでしょ?目指せオリンピック、とか?』
 別にそんなのまだ決めてないのに…。
私はまだ何の夢ももっていない。とりたてて走るのが好きだったわけじゃない。
走り続けてきたのは、走っている間は何も考えずにいられるから。
ただそれだけだったのに、気がついたら陸上部のエースだなんて呼ばれてた。
「どうしたらいいのかな…」
 ベッドに寝転びながら一人つぶやく。
不意に、今日会った男の顔が浮かぶ。
『この世界が危ないんだ。君の力を貸して欲しい』
 この世界が危ないんだ、か。
私はその世界でどう生きていったらいいのかさえわかってないのに。
「『私は世界を守るために戦う!』とか?なかなか壮大で立派な目標よね」
 苦笑しながらそんなことをつぶやく。
馬鹿らしい。そんな漫画かゲームみたいなことあるはずがない。
「そんな目標をもたれては困るな…」
「え!?」
 突然、男の声が聞こえた。
慌てて声のした方を向く。
いつの間にか部屋の入り口が開き、見知らぬ男が立っていた。
夕方会った男とは違う。
赤い目をした長い銀髪の男。
「あ、あなた誰?!人の家に、勝手に…!」
「お前とカイルを組ませるわけには行かないんだ。悪いが死んでもらう」
 無表情で言うと、男は逆手に持ったナイフを顔の前にかざす。
ナイフの冷たい輝きと男の暗い熾火のような深い赤い瞳に飲まれ、私は声をなくしてしまった。
逃げなきゃ、助けを呼ばなくちゃ…!
そう思うけれど喉はカラカラに乾いて声は出ないし、体は硬直して指一本も動かせない。
ゆっくりと男が近づいてくる。
(やられる…!!)
 そう思った瞬間。
「…こっちだ!!!」
 今度は窓の外から声がした。
次の瞬間部屋の中を突風が吹き荒れ、銀髪の男が壁に叩きつけられる。
そして、私は誰かに腕をつかまれ抱きかかえられていた。
「え?!ちょ…!?」
「死にたくないのならしばらく大人しくしていろ!」
 そしてそのまま窓から飛び出る。
「…!!!」
 ここは2階だ。
当然感じるであろう落下感と衝撃を想像して私は目を閉じる。
だが、いつまでたってもそのどちらもやってこない。
「……?」
 恐る恐る目を開ける。
目の前には、夕方あった男の顔。確か、カイルとかいう…。
そして、夜空。視線を移せばはるか下に光の群れが見える。
「え…。と、飛んでる?!」
「頼むから暴れないでくれよ。落ちたくはないだろう?」
「あ、当たり前でしょ!」
 言いながら私はしっかりとカイルにしがみついた。
状況はサッパリわからなくて頭の中は大混乱だけど、落ちたらお終いだってことだけはわかるしね。


「それで?あなた一体何者なの!?それにさっきの男は…?どうして私が狙われなきゃいけないのよ!」
 とりあえず町外れの神社までやってきて身を隠した後、私はカイルに食って掛かった。
「…質問は、一つずつにしてくれないか。一度に答えられるわけがないだろう?」
「う…」
「まぁ、いい。一つずつ話してやる。ただその前に、やっておかなければならないことがある。 少しの間でいい。目を閉じてじっとしていろ」
「え?」
「早くしろ。それが終わるまではゆっくり話なんてしていられないからな」
「うん…」
 不承不承、私は目を閉じた。
「よし…。全ての始まり、万物の祖。わかち与えられし神の力。目覚てその力を解放せよ…!」
 朗々とした声で、カイルが呪文のようなものを唱えているのが聞こえる。
と、不意に体の中が熱くなるのを感じた。なんだろう、これは…?
「これでいい。もう目を開けていいぞ」
「今、何をしたの?」
「それもこれから話してやる。事情を知りたいんだろう?」
「うん」
 私は素直にうなずいた。
これだけおかしな状況に叩き落されて、何がどうなっているのか、知りたくないほうがおかしい。
「まず単刀直入に言うが、僕と…そしてさっきの男もこの世界の人間じゃない」
「そうなんだ…」
 私は言葉少なにうなずいた。
「あまり驚かないんだな?」
「あれだけ常識外のことが起きたらさすがにね。普通の人間だって言われる方がよほど驚くよ」
「そうか。…この世界と僕が生まれた世界は同時に生まれたんだ。2人の神が世界の覇権をかけてのゲームをするためにね」
「ゲーム?いきなり何の話?私が聞きたいのは…」
「いいから。ここから話さないと説明できないんだ」
 カイルは真面目な顔で私を見る。
嘘をついているようにもごまかしているようにも見えなかった。
だから私はそのまま話を聞くことにした。
「この世界とあっちの世界も含めたもっとずっと広い世界。そこを管理すべき神は2人いた。だけど2人の考え方は違いすぎて、協力なんてできなかった。そして、世界を分けるのも嫌だった。だからゲームをすることにしたんだよ。ゲームに勝った方が世界の管理を全て一手に引き受けるという約束のもとにね」
「そのゲームって、どんな内容なの?」
「それぞれに1つづつ小さな世界を作るんだ。二つの世界は常に天秤にかけられてる。より良い発展をすれば軽くなり、悪い方向へと進めば重くなる。最終的に傾きが最高になって混沌の海に沈んだ世界を作った方が負けって訳だ」
「こ、この世界ってお皿にのってぶら下がってるわけ??」
「馬鹿。天秤ってのはあくまでイメージだよ。それに世界っていってもこの地上だけじゃない。周りの宇宙とか全部含んでだからな?」
「けど、もしそれで勝負がついたって、納得いかないとかいって喧嘩になったりとかしないの?」
 私がごく当たり前の疑問をぶつける。
負けそうになったら勝負を投げて相手を直接攻撃しようとしたっておかしくない。
あるいは、すごい力を持つ神ならば、世界が沈みかけたら自身の力で修正することだって出来るはずだ。
「もちろんそれは考えたさ。勝負がつく前に相手が自分を直接狙ったり、過度に世界に干渉するんじゃないかってね。だから彼らはお互いに力を封印した」
「封印?」
「自分達の力を7つに分けて、自分の世界の住人に与えたんだ。そして、ゲームが終わるまで力は回収できないよう封印の儀式を行った。相手の封印を解く鍵はそれぞれ自分の世界に置く。封印がある限り相手は自分を攻撃してはこられないからね。」
「けど、その神の力を貰った人間って、どうなるの?」
「神の代理人として、神からの指示を受けることになる。と、いってもこれも神同士の盟約で、不当に世界に介入しすぎないよう、その命を聞くかどうかはそのもの自身に委ねられてる。その力をもって世界のために働くも良し、自分のために使うも良し。あえて使わないという道もあるな。力あるものがどういう行動をするかも審判の対象って訳だ」
「でも今までそんなすごい力を持った人がいたなんて歴史に出てきたことはないけど…」
 私はあまり豊かではない自分の歴史の知識を引っ張り出しながら言った。
そんな力を持つ人間がいて、その力を振るったなら、歴史に残っていそうな気がする。
でもそんな大事件聞いたことがない。
「こっちの世界を作った神は、世界を作った後のことはもうそこの住人にまかせるべきだ、という考えの持ち主なんだ。だから指示を与えたことがないんだろう。あえて言われなければ自分にそんな力があることなど気づかないまま終わるからね。」
「あなたの世界では?」
「僕の世界の神は感情を排し、理性をもって世を管理することを訴えている。代々の”力ある者たち”は神の命を受け世界の管理の為に尽力してきた」
「自分のために使おうという人はいなかったの?」
「言っただろ。理性をもって管理することを訴えてるって。最初からそういう風に作られてるのさ。元々僕の世界の人間はこちらの世界の人間よりも理性を大事する。感情が希薄ともいえるけどね。とにかくそんな野心家は出ようもなかったんだ」
 感情よりも理性を第一に動く…ある意味ロボットのようなものなのかな??
目の前のカイルを見ているとそうとも思えないけれど…。 
「でも、それと今の状況と何の関係があるの?」
「こちらの世界は、沈みすぎた。遠くない未来に混沌の海に沈んで滅びるだろう」
「え!?」
「でも僕はそれが納得できなかった。神々のゲームのためだけに作られ、消えていくなんて…。だから僕は決めたんだ」
「…?」
「こっちの世界を救ってみせるって。神の都合だけで滅ぼさせたりしてたまるものか」
 それは私も同感。
この世界がゲーム盤だなんて、正直言って頭にくる。
けど、沈むのはこの世界だよね?どうして向こうの世界のカイルがこんなに必死になるんだろう??
それに、さっきの話からすれば、カイルだって向こうの神に従っているはずだ。
「でも、どうしてあなたが?」
「神隠しって聞いたことあるだろ?」
「うん。人が突然いなくなっちゃうことだよね?」
「2つの世界は常に隣り合ってる。ひょんなことからゲートが開いてつながってしまうこともあるんだ。それで、ゲートが開いた時に巻き込まれて違う世界へ行ってしまうのが神隠しって訳だ。僕の父は神隠しであっちの世界に飛ばされたこっちの世界の人間なんだよ。僕にとってはどちらの世界も大切なんだ。だからこそ、こちらの世界を救いたい…」
 そう言って、カイルはひたと私の目を見つめた。


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