神様の条件。−理の場合−



CASE1:嘘

僕は山道を歩いていた。
次の町へはこの山道を通るしかないのだから当然だ。
鬱蒼とした森の中を縫うように続く細い細い道。
この道は、山賊が出るということで有名だった。
町と町の移動はこの道を使うしかないのだから、ここで待っていれば確実に獲物が通るというわけだ。
山賊を退治しに討伐隊が組織されたこともあったが、山賊の方が遥かに森に詳しく、どうにもならなかったらしい。
だから、ここを通るには集団で行くか、よほど腕に自信でもなければならない。
そうでない人間は、いつ襲われるか分からない恐怖の中進むしかない。
幸いなことに、僕は山賊に襲われることなく森を出ることが出来そうだった。
安堵が胸に満ちていく。
と、不意に、出口の辺りに何かが見えた。
「あれは…?」
思わず身構える。そうだ。山賊は森の真中ではなく、森の出口でよく獲物を狙う。
やっと森を抜けたと安堵した油断を突くのだ。
警戒しながらそっと木に身を隠しそちらを伺う。
全く動きがない。…木にもたれて眠っている?こんなところで?
そっと近づく。
段々と姿が見えてくる。
あれは…。
「………」
そこにあったのは、かつて人間の女性だったもの。
女性の、死体。
恐らく盗賊にやられたのだろう。
荷物はあちこちに散乱し、薬草らしきものが飛び散っている。
乱暴されたのだろうか、衣服は破れ、体のあちこちに醜いあざが残っていた。
必死で抵抗はしたらしく、爪には血がこびりついている。恐らくは相手を引っかいたのだろう。
僕は自分が羽織っていた外套を彼女にかけるとしばし冥福を祈った。
そして散乱していた薬草だけをかき集め、その場を離れた。
いつまでもその場にいるわけにはいかなかった。
それは自分自身が山賊の新たな標的になることを意味していたから。
ただ同情だけでこの場に留まっても、それは野ざらしの死体を2つに増やすことになるだけだ。
だが、せめて薬草だけは。
彼女が町に届けるはずだったであろう薬草だけは届けてやることができると思った。

それから歩くこと数時間。
僕は町についた。
薬草を待っていた人間はすぐにわかった。
町の入り口で何かを待っている青年。
やってきたのが僕だと分かると明らかに落胆した顔を見せた。
だが、気を取り直したらしくこちらへやってくると尋ねた。
「あの…。ここへ来る途中、若い女性に会いませんでしたか?」
「…どうか、したんですか?」
とりあえず聞いてみる。相手がどんな人物かわからなければ事情を話すわけにはいかない。
「実は…僕の母が病気で…。治療に必要な薬草が足りなくて、妻が隣町まで買いにいったんです」
「奥さんが?一人で?」
「はい…。危険だからとは、止めたのです。僕が行くつもりでした。だけど、あいつは聞かなかった。『あなたのお母さんのことなのだから、あなたがお母さんについていてあげて』と…。それに必ずしも襲われる訳ではない、運の悪いほんの一握りのことだから、と。森を通るのは昼間になるから、大丈夫とあいつは笑ったんです。だけど、まだ帰ってこない。本当なら、もう、戻ってきてもいいはずなのに…」
「この薬草は、使えるか…?」
僕は先ほど集めた薬草を男に差し出した。
「これは…!これは確かに私が必要としている薬草です!どうして…」
「事情は後でいいだろう。今は一刻も早くこの薬草が必要なのではないのか?」
「…わかりました。これは、いただきます」
そういうと男は小走りで戻って駆けていく。
僕もその後を追った。

その薬草のおかげで、男の母は一命を取り留めた。
「ありがとう」
男と母はそう何度も繰り返した。
そして、問うた。
『何故あなたがこれを…?』と。
眼には隠し切れない不安。
薬草を煎じて飲み、持ち直したはずの老母の顔色は白い。
それはきっと病のせいではないのだろう。
自分の為に出かけたまま帰ってこない嫁の身を案じているのだ。
そして多分…何があったのかもう薄々気づいているのだろう。
だからその眼は不安とこれから告げられるであろうことの恐怖に震えているのだ。
「実は…」
僕は全てを打ち明けた。
森であったことを。
あの悲惨な状況を。
話さない訳にはいかなかった。
僕が言わずともあそこを誰かが通ればいずれはわかることだ。
それに今なら。遺体を村まで連れ帰ることもできるだろう。
あんな野ざらしではなく、村の墓地にきちんと埋葬してやれる。
そして何より、家族を思うが故に死さえ覚悟していった勇敢なあの女性の最後を、彼女を愛した家族に告げるべきだと思った。
例えどんなに悲しい真実でも、知るのは義務だと思った。
こうなることが予測できなかったわけじゃない。
この悲劇の一端は他ならぬ彼らにもある。知らずにいるのは、辛すぎるだろう…。
老母が泣き崩れた。
男はそんな母を支えながらも、自分も涙を流していた。
悲しい叫びと嗚咽があたりを支配する。
僕は、その泣き声を背中に背負ってその場を去った…。
泣き声は、いつまでも耳に残った。


たとえどんな真実でも、みつめて乗り越えた方がいい。
真実を受け止めるだけの強さを人は持っているはずだから。
乗り越えた先に見出すものがあるはずだから。
偽りはきっと、何も生み出さない。




CASE2:罪

その日は、もう遅かった。
気がつけば夕暮れ時で、辺りに宿らしきものは無かった。
だから、わずかばかりの路銀を払ってこのあたりの地主だという民家に泊めてもらった。

幸せそうな家族だった。
笑顔と優しさがあふれている。そんな家庭。
「明日は、誕生日なんだよ!」
そういってはしゃぐ幼い少女。
「ごちそう作ってあげるからね」
優しく微笑む母親。
「そうだ。あなたも、明日までいらっしゃいませんか?お祝い事は、人が多い方がいい」
そう誘う父親の申し出を僕はありがたく受けることにした。

深夜。
僕は目をさました。
旅で疲れていたはずなのに、唐突に目が冴えた。
静かだった。
静かすぎるほどに静かだった。
『コトリ』
物音が聞こえた。
僕はそっと、物音のしたほうへ向かった。
何故だか、胸騒ぎがした。

最初、僕は目を疑った。
――目の前に広がる惨状に。
それは、台所でのことだった。
薄い月明かりの中に広がる海が見えた。
真紅の、血の、海。
そこに無造作に落ちているいくつかの影。
それは人だった。
海の中に沈みこんでただそこに落ちていた。
笑っていた少女も、隣で優しく微笑んでいた母も、人の良い父親も。
もうピクリとも動かない。
幸せな誕生日はもう決してやってこない。
そして、むせ返るような血の匂いの中、一つだけ動く人影。
手に光る血塗られた刃。
『ああ、こいつだ…。』
僕は妙に淡々とそう思った。頭がまだまともな思考をしていなかった。
眼が泳ぐ。
少女の手の側に割れたコップがあった。
恐らく、夜目が覚めて喉が渇いたのだろう。水を飲もうと台所へやってくる。
そしてあいつとでくわしたのだ。
帰ってこない娘を心配して母が来る。
そしてさらに父親も。
結果は、目の前にあるとおり。
(こんなひどいことが許されるのか)
回らない頭の中唐突に思った。
つい数時間前までは笑顔にあふれていた幸せな家庭。
何故彼らがこんな目に会わねばならないのか。
これほど罪深いことがほかにあるだろうか。
…許せない。
そう思った。
決して許すことは出来ない所業。
絶対に裁かなければならない悪行だと。
『カタッ…』
怒りに震えた私は物音を立ててしまっていた。
なにやら物色していた人影の動きが止まり、爛々とした眼がこちらを見据えた。
(やられる…!?)
そう思ったとき頭の中に声が響いた。
『神子よ、罪を裁け』と。
…思い出した。僕は人ではなかった。
『パシュッ』
僕は迷わず神力を発動させた。
男の体が宙に舞う。
飛び散る鮮血。
新たな赤で海が広がる。
世界がひどくスローモーションに見えた。
『ドサッ』
男が地に落ちる。
まだ、息があった。とっさに身をかわしたらしい。
でも、それもこれまで。今度は外さない。
この男は裁かれなければならない。
「神の名のもとに、あなたに裁きを…」
右手に力が集まる。男にはもう避けられないはずだ。
「おとうさん?」
その時だった。
開いたままになっていた勝手口から小さな少年が姿をあらわしたのは。
「馬鹿、来るな!!」
男が叫ぶ。しかし少年は状況が理解できないのか、小首をかしげながら近づいてきた。
「どうしたの、おとうさん。食べ物は…?おなか、すいたよ…」
骨と皮ばかりの手。落ち窪んだ目だけが爛々と輝いている。
きっと、もうずっと、何も食べていないのだろう。よく見れば、男のほうもやせ細っていて、肉らしい肉などついてはいないように見受けられた。恐らくは子供以上に何も食べていないのだろう。
「ひっ…!」
近づいてきた少年は、あたりの惨状を目にして硬直する。
「逃げろ、早く!父さんもすぐに行くから!!」
逃げる様子の無い少年と僕の間に男が割ってはいる。
もはや動くだけでも辛いはずなのに、必死になって息子を逃がそうとする男。
男は這いずるように僕の元へやってくると足にしがみついた。
「な…!?は、離せ!!」
「離すものか。例え死んでもこの手だけは離すものか!」
「この…!」
僕は手を振りかざす。神力が集まり手が輝く。
そうだ。こんな男殺してしまえばいい。
もともとそのつもりだった。
死をもってしてもあがないきれないほどの罪人。
許すわけには行かなかった。
男の罪を裁かねばならなかった。

私はそのまま神力を発動させた。
どんな理由があっても男のしたことは許されない。
幸せな一家の未来を奪った理由にはならない。
自分の息子を助けたいが為に息子と同じ年頃の少女を容赦なく手にかけたエゴ。
男は裁かれなければならないのだ。
ここで見逃すわけにはいかなかった。
この行為を認めてしまうわけにはいかなかった。
もしここで認めてしまったなら、理由さえあれば人を襲ってもいい、人を殺す事だって許される。
少年はそう思ってしまうだろう。
そして、男を許してしまったら、殺された人々の思いはどこへ行けばいいのだろう?
たとえ死を目前としようとも、人として捨ててはならないものがあるはずだった。
超えてはならない一線があるはずだったのだ。
僕は呆然とへたり込む少年の手を取り無理矢理外へと連れ出した。
少年の眼が恐怖に見開かれる。
だが、その視線はやがて憎悪に変わる。
「よくも、とうさんを…!」
「あれを見てもそう言えるのか。あれはお前の父親がやったことだ。許されないことだ…」
少年が、再び戸口の中の一家の死体に視線を送る。顔が青ざめる。
それでも怒りだけは僕にぶつけたまま。
「僕を憎むのも構わない。父を嫌いになれとも言わない。お前の父親は、お前の為にあえてこの凶行を選んだのだから。だから、父を誇ってもいい。だけど、お前の父がしたことはそれでも許されないことなんだ。だから、殺した」
「………」
「自分の生がどんなものから成り立っていたか、今日のことを忘れぬまま生きていけ。もしお前が父と同じ事をするならば、僕はまたお前を殺しに来る」
ぷつん。少年の中で何かが切れたのか、堰を切ったように泣き出した。
僕はただ夜空の月を見上げていた。
月の光は少し胸に痛かった…。


人は誰でも罪を犯す。
誰かがそれを裁かねばならない。
たとえそれで自らの手を汚すことになっても。
時には断固とした態度をとらねばならないのだ。
それが世界に秩序を生み出すのだから。





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