バルドル戦記
暗き深淵の死の女神。 そして、美しき若さの女神。 けれど白神の最も近く。 近くて最も遠い場所にいるもの、それは――? バルドル戦記第2話、 『My name is Nanna −私は、ナンナ− 』 白い天井が見える。 白い天井に、白い照明。 視線を横に移せば、白いカーテン。 白いシーツに白い毛布。全てが、白に染まった空間。 「…ここは?」 リフェルはゆっくりと身を起こした。 どうやら、ずっと眠っていたらしい。 夢見心地なのかどこかふわふわとした浮遊感が離れない。 リフェルはボーっとした頭を覚醒させるため、軽く頭を振った。 あたりに漂う消毒薬の匂いが鼻をつく。 「…病院…?」 再び、つぶやく。 と、その声に反応したかのようにカーテンの外で気配が動いた。 足音が近づき、カーテンが開く。 「お目覚めかしら?」 顔を覗かせたのは、白衣を身にまとった黒髪の、眼鏡の女性。 年のころは30後半といったところだろうか。 いかにも『女医!』といった雰囲気を漂わせている。 「…ええ。ここは、病院?」 「リフェル、目が覚めたんだな!!」 女医が答える前に、男が女医を押しのけるようにして顔を出した。 が、顔を出した途端に女医にあっさりと顔面をつかまれた。 「あらあら、女性が寝てるところに無神経な…外で待ちなさいって言ったでしょ?」 女医はニッコリと笑いながら、その笑顔とは対照的に顔をつかんだまま男を無造作に押し出すと、カーテンを閉める。 「飛鳥…」 少しあきれた声でつぶやくリフェル。 そう、一瞬しか見えなかったが(すぐ押し出されたため)、あれは飛鳥だった。 女医はこほんとわざとらしく一つ咳払いをすると、リフェルに向き直った。 「ごめんなさいね、起きた途端に騒々しくて。えっと、ここがどこか、だったわね? 病院…ではないわ。付け加えるなら、地球でもないの」 「地球ではないって、まさか…?」 「ここは統合軍戦闘艦、スキーズブラズニルの医務室。 位置的なもので言うなら地球と月の間くらいかしら?」 どうやら感じている浮遊感は寝ぼけているせいではなかったらしい。 艦内は重力制御されているようだが、それも完全ではないのだろう。 「どういうことですか?事情を説明していただきたいのですが。この艦の責任者の方は?」 「事情の説明は、もちろん。ああ、そういえばまだ名乗っていませんでしたね。 私は統合軍中佐蒼城榛名(そうぎ・はるな)。このスキーズブラズニルの艦長です」 相変わらずの笑みを浮かべたまま女医は…いや、榛名が言う。 リフェルはもう一度改めて榛名の上から下までを見つめる。 着ているのは軍服ではなく純白の白衣。もちろん階級章もつけてはいない。 はっきり言ってどう見てもただの女医にしか見えない。 「…艦長…あなたが?それに、蒼城って…」 「俺の母さんだよ。言っただろ、意表をつくのが好きだって」 カーテンの向こうから飛鳥の声がする。 「目が覚めたときにいきなり軍服の人間が目の前にいたらリフェルちゃん、混乱しちゃうと思って」 ニッコリと笑って榛名が言う。 (…白衣を着た女性にいきなり艦長だと言われる方が十分混乱すると思うんだけど…) リフェルはため息をついた。 そして思う。 やっぱり飛鳥の両親は迷惑なタイプだ、と。 「つまり、この艦は月基地へバルドルを輸送中ということですか?」 無機質な通路を歩きながらリフェルは榛名に問いかける。 「そうなの。すでに見つかってしまった以上、地球に置いておくわけには行かなかったから」 「…それはともかく、何故私まで?バルドルだけを運べばいいことでしょう? 私がバルドルに乗ったのは偶然です。事情は飛鳥さんから聞いていると思いますが?」 リフェルは隣を歩く飛鳥に一瞬視線を移しながら問う。 視線を向けられたことに気づいた飛鳥が喜んで笑顔を浮かべる。…即座に無視。 「確かに、聞いています。でも、申し訳ないけどバルドルは機密事項なの。 そのバルドルを実際に見、しかも操縦までした貴方をそのまま解放するわけにはいかなくて… それは飛鳥ちゃんも同じなのだけど」 「それでも納得がいきません。事情聴取、機密保持のための拘束なら地球でも良かったはずです」 「…それは、貴女をバルドルから離す訳にはいかなかったからなの」 「それは、どういう…」 説明を促すリフェルに榛名の瞳が一瞬真剣なものになる。 「説明はブリッジでします。そのほうが手っ取り早いから」 「…」 リフェルはうなずき、今はただブリッジへと向かうことにした。 シュッ、と静かな音がしてブリッジの入り口が開く。 「艦長〜またコスプレですか〜?」 ブリッジに入った途端かけられたのはそんな声だった。 「だって、ほら、起きてすぐ目の前に軍服の人間がいたらリフェルちゃんだっておびえちゃうでしょ?」 「白衣の人間なら、僕で十分でしょう?加えて言うなら艦長業務は僕の仕事じゃない」 艦長席に座った白衣の男性が、立ち上がりながら言った。 ちなみに最初に声をかけてきた人物とは別人である。 「だってリフェルちゃん女の子だし、あなた雰囲気が怖いんですもの。 それに、艦長業務といっても今は暇だったでしょ?」 「やれやれ。とにかく僕は自分の仕事に戻らせてもらいますよ」 男はため息をつくと入り口へゆっくりと歩き出す。 「あ、そうそう、リフェル君。一応検査をするから後でまた医務室へ来てくれたまえ」 それだけ言い残すと返事も聞かずに男はブリッジを出て行った。 入れ替わるようにして榛名が艦長席に座る。 「リフェルちゃん、座ってみる?」とか言われたが、丁重に辞退しておいた。 「艦長〜女医もいいけど僕ナースが良かったかも」 艦長席に座った榛名に乗員からそんな軽口がかけられる。 「あぁ、それは私も考えたんだけど。持ち合わせがなかったのよ」 心底残念そうな榛名。 …どうやら衣装は自前らしい。 リフェルは頭が痛くなってきた。 「あの…事情の説明をしていただけるのではなかったのですか?」 「ああ、ごめんなさい。今からしますからね」 榛名はそういうとクルーに指示を出す。 と、正面のディスプレイに大きくバルドルが映し出された。 格納庫らしき場所に他の機動兵器と並んで傷一つないバルドルの姿がある。 「…バルドル、修理したんですね」 スカジとの戦闘、ヘルの一撃などでバルドルはダメージを負っていた。 重要兵器であるバルドルを修理するのは当然なので驚くには当たらないが、一体自分はどれほどの時間眠っていたのだろうか。 「いえ、修理はしていませんよ」 「修理をしていない…?」 「バルドルには自己修復機能があるみたいね。私たちが駆けつけた時には傷があったけれど、数時間もするうちに今の状態になったのよ」 その言葉に思い当たることがあった。 バルドルを奪いに来たスカジ。バルドルを壊していいのかと問うリフェルに彼女は『いいんだよ。完全に壊れなきゃな。』と、言った。あれはこういうことだったのだ。だが… 「みたい、とはどういうことです。バルドルは軍の兵器ではないのですか」 他人事のような榛名の言葉にリフェルが問う。 「残念ながら、違います。バルドルは未知の技術で作られた発掘兵器。 存在そのものがブラックボックスといっていいくらいのものなの。 …それゆえに、私たちでは起動させることすら出来ないのよ」 今までとは打って変わった真面目な口調。 静かな視線がリフェルを射抜く。 「…起動すら、できない?」 そんなはずはない。 バルドルは確かに起動し、自分はそれに乗って戦ったのだから。 それに『未知の技術で作られた発掘兵器』などあまりに現実離れしすぎている。 「信じられないも無理はないけど…事実なの。 バルドルを狙って来た敵についても同じくわかっていることはほとんどないわ。 私たちとしては何故貴女がバルドルを起動し、操縦できたのか、そちらの方が信じられないのですけどね」 言いながら、榛名は問いかけるような視線を投げてくる。 リフェルはため息をついて首を横に振った。 「…私が聞きたいくらいよ。バルドルは勝手に起動したし、操縦法も何故か急にわかったんです。まるで、昔から知っていたように…」 「…そう」 リフェルの言葉に榛名はしばし考え込む。 「でも、これで事情は理解できました。どういう理由があるにせよ、バルドルを操縦できた私はバルドルの解析に不可欠、だから離すわけには行かない…そういうことですね?」 リフェルの言葉に榛名は思考を中断させて顔を上げる。 そして穏やかな笑みを浮かべて、言った。 「リフェルちゃん、物分りが早くて助かるわ。 早速だけれど、もう一度バルドルにのってもらえるかしら?起動したのが偶然なのか、まず確かめて見ましょう」 次へ |