コクピットに入り、シートに身を預ける。
リフェルは二度目のはずなのに何故か馴染んだその席で、バルドルを起動させた。
静かな音と共に計器類に光がともり、バルドルは何事もなく起動する。
モニターで様子を見ている榛名たちはさぞ驚いたことだろう。

バルドル…!

 起動と共に、嬉しそうな声が響く。
それは、あの戦いの前に、そして戦いのさなかに聞いたあの謎の声だった。
「…何を言ってるの?バルドルはあなたでしょう?」
 リフェルは問い返す。非現実的ではあるが、今までの彼女の言動からしてこの声はこの機体、バルドル自身のものと受け取れるのだ。だが。

チガウ…バルドルハアナタ…ワタシハ…ワタシハ、ナンナ…

「ナンナ?」

ナァニ、バルドル?

 聞き返しただけなのだが、名前を呼ばれたと勘違いしたのだろう、『ナンナ』が返事をする。
リフェルはため息をついた。
さっぱり訳がわからない。この機体は確かにバルドルなのに、この声は自分が『ナンナ』だといい、あろうことかリフェルのことをバルドルだなどと言う。
いや…そもそもこの『声』は一体何なのか。
「あなた…一体なんなのよ…」

…?バルドル、ワタシノコトワスレチャッタノ?

 漏らした呟きに、ナンナがひどく悲しそうな声を上げる。
込められた切なさはあまりに深く、リフェルは自分が大悪人であるかのような錯覚さえ抱き、慌ててその思いを振り払う。
「忘れるも何も…知らないわよ!それに私はバルドルじゃない」

ウソ…!バルドルノウソツキ…!

 ナンナからの声はさらに切なさを増す…いや、切なさというよりは慟哭。
リフェルがバルドルでなければ、どうしていいのかわからない、そんな戸惑いさえも感じられる。
「く…」
 リフェルはたまらずバルドルを停止させ、コクピットから降りた。
あんな感情をぶつけられたのでは身がもたないし、どのみちあれでは話にならない。
(…話?)
 リフェルは自嘲した。
あんな得体の知れない『声』を一人の人間の人格であるかのように感じている自分に。
自分はどうかしてしまったのだろうか。
いや、そもそもどうかしてしまっているからこそあんな声を聞くのか。
「リフェル、どうしたんだ!?」
 突然ただならぬ様子でコクピットから降りてきたリフェルに飛鳥が駆け寄ってくる。
「なんでもないわ…ちょっと混乱しただけ、よ」
 そっけなくリフェルが答える。
「混乱?」
 訳がわからず飛鳥の顔に?マークが浮かぶ。
「あの声、一体なんなのよ…」
 その問いに答えているのかいないのか、ポツリと呟きを漏らすリフェル。
「声????」
 飛鳥の顔の?マークは増加する一方だった…。



「くそっ、絶対倒してやるからな、バルドル…!!!」
 血を吐くように叫びながら、ガルナは医務室の壁を思い切り殴りつけた。
バルドルの猛攻にあった際コクピット内も損傷し、ガルナ自身も負傷したため頭には白い包帯が巻かれている。あまりの怒りに傷が開いたのか、包帯にうっすらと赤いシミが浮かぶ。
「駄目ですわよ、ガルナさん。バルドルは奪回すべきなのですわよ?」
「…いいえ、ラミュリスちゃん。バルドルは、奪回が無理なら破壊もやむなし、と命令が変更されたわ」
「お姉様♪」
 突如横合いからかけられた声に、ラミュリスの顔にそれまで浮かべていた落ち着いた笑みではなく、実に子供らしい素直な笑顔が浮かぶ。
「お帰りなさい、ガルナさん、ラミュリスちゃん」
 医務室の入り口に、一人の女性が笑顔を浮かべていた。
長い黒髪に、宝石のように澄んだ蒼い優しげな瞳。
浮かんだ笑みはラミュリスの浮かべる上品な笑顔とはまた違う、穏やかで、優しい笑みだった。
 だが、ガルナの頭に巻かれた包帯に視線が移るとその笑みは消えた。
「ガルナさん、その怪我…大丈夫なんですか?」
「フン、余計な心配は無用だね。それよりティーリス、今の言葉は本当かい?」
「え、えぇ、それは…。それよりガルナさん、やっぱりその怪我…血がにじんでます」
 心配そうに、いたわるように包帯に手を伸ばすティーリス。
瞬間、ガルナはその手を思いっきり振り払った。
「触るんじゃないよ、バケモノ!」
「…!!」
 その言葉にティーリスは一瞬ビクッと手を引く。
それを見たガルナの顔に一瞬だけ後悔の表情が浮かんだが、すぐにぐっと苦虫を噛み潰したような表情に戻った。
「…ガルナさん、今の発言だけは見過ごせませんわ。撤回していただけませんこと?」
 ラミュリスが氷よりも冷たい視線をガルナに向ける。
普段の穏やかさは欠片もなく、その身から発せられるは敵意…いや、それをも通り越した鋭い殺気のみ。だがガルナはそのさっきを平然と受け止めると冷たくラミュリスを見返す。
「いいのよ、ラミュリスちゃん。…仕方がないもの」
「でも、お姉様!」
 寂しげな微笑を浮かべる姉に、ラミュリスは納得いかなげに食いつく。
「…ふん。訂正だ。お前みたいな軟弱者、バケモノなんてほどの迫力なんかありゃしない」
「ガルナさん…」
 ガルナの言葉にティーリスの表情が和らぐ。
「…ッ、そんな顔するんじゃないよ!あたしはアンタを馬鹿にしたんだよ?
それより、だ。あたしはバルドルを倒しに行く。スカジはどこへ運んだ?1番格納庫かい?」
「ガルナさんは休んでいてください。戻ってきたばかりじゃないですか。
次は、私が出撃しますから」
「…なんだと?」
 一瞬にしてガルナの顔色が変わる。
元からきつめな顔立ちはさらに険しさを増し、激しさを秘めた視線は焼き殺さんとばかりにティーリスを貫く。
「ふざけるな!!あたしの獲物をとろうっていのかい!?冗談じゃないね。
あんたなんかに倒せるもんか!スカジはどこだい?!」
「落ち着いてください、ガルナさん!
…ガルナさんは、私なんかじゃバルドルを倒せないと思ってるんですね?」
「当然だろ。このあたしがやられたんだからね」
「だったら。私が出撃してもガルナさんの獲物を横取りすることにはならないじゃないですか」
「…なッ」
 虚を突かれてガルナは絶句する。
そんなガルナにティーリスはいたずらっぽい笑みを浮かべて、言った。
「だから、今は休んでいてください。私が負けて戻ってきたのを笑ってからでも、再出撃は遅くはないでしょう?」
「…それにどちらにしろ出撃は出来ませんわ。スカジの修復はまだ終わっていませんから」
 どこか拗ねたようにラミュリスがティーリスの言葉に付け加える。
「…チッ」
 ガルナがいまいましげに舌打ちする。
だがそこにティーリスに対する敵意は感じられない。
ガルナなりの同意の証といったところだろうか。
 そんな不器用なガルナにくすりと笑うと、ティーリスは今度は腰を折ってラミュリスに視線を合わせた。
「それじゃあ、お留守番よろしくね。帰ってきたら、一緒にゆっくりお茶を飲みましょう」
 その言葉にラミュリスの顔が輝く。
先程からガルナとばかり話している姉に少し不満を感じている様子の妹に、ティーリスはちゃんと気づいていた。
「はい♪あ…でも出撃されるのでしたら私もご一緒に…」
「ダメよ、ラミュリスちゃん。貴女にはガルナさんがちゃんと休んでいるよう見張っててもらわなきゃ。…お願いできるかな?」
「…はいっ!承りましたわ♪」
「それじゃ、行ってきますね。あ、でもその前に…」
 ティーリスは思い出したように言うとずい、とガルナの前に進み出た。
そして今度こそ躊躇わず、ガルナの包帯に手を伸ばすとその拘束を、解いた。
「ひどい、怪我…」
 ティーリスはいたわるように傷口に手を伸ばすと、そっとその傷口に触れる。
白い手がガルナの傷口から流れ出る真紅の鮮血に染まっていく。
「……」
 ガルナは、無言。抵抗こそしないが、表情に不快さを隠そうとはしない。
だがそれを気にした様子もなく、ティーリスはしばしの間そうした後、身を離した。
「それじゃ、ちゃんと休んでいてくださいね」
 ティーリスはニッコリと笑うと二人に背を向け、廊下を曲がって歩み去る。
ガルナの傷口はふさがり、もう血が流れ出ることはなかった。



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