ギシャアアアアア!!!


 背後でバイラスの悲鳴が響く。
目の前のバイラスに注意を残したまま一瞬だけ視線を後ろに送ると、私の背後を守るように立つ大きな背中があった。
「どうしてあなたが…っ!?どいてください!」
「悪いが俺もバイラスに押されてここまで後退してきたのでな。我慢してくれ」
「ガジュマに…あなたに背中を預けるなんてできませんっ!!!」
 思わず後ろを振り返りかける。その瞬間、厳しい声が空気を震わせた。
「!頭を下げろッ!!」
「え、きゃっ!?」
 有無を言わさぬ迫力に、考える間もなく言うとおりにしてしまう。
頭を抱えてしゃがみこむ私の頭上に振り向き様に振るわれた彼の槍が、今まさに私の背後に飛びかかろうとしていたバイラスを薙ぎ散らす。
「ぐあっ!?」
 けれど、苦痛の叫びを上げたのは、あの人。
振り向いてしまったせいで、自分が相対していたバイラスに背を向ける形になってしまったから。
その無防備な背中を、バイラスは見逃したりはしない。
「…見ての通りだ。後ろを振り向きなどすれば即座にその隙を狙われる。
俺が信用できなくとも構わないが、俺は目の前のバイラスを無視して背後の仲間を襲うほど愚かではない。
目の前の敵に集中しろ!俺よりも先に目の前のバイラスを倒して不意を打つくらいの気持ちでいればいい!」
 バイラスから受けた傷などなんでもないかのように、彼はまた、私に背中を向けてバイラスに槍を振るいながら声だけを私に投げて寄越す。
「あなたに言われなくたって…!」
 言って、私も立ち上がり再び杖を構える。
目の前には新たなバイラスが迫っている。いつまでも座り込んでいるわけには行かない。
 あの人と背中合わせに戦う。時折触れる背中が熱い。

――どうしてこうも、この人は憎らしいのだろう。
押されて来てなんか、いないくせに。
バイラスに囲まれてしまった私を助けるために、群れの中にあえて飛び込んできたことくらい、わかっているのに。
背後を狙われることをわかっていながら、私の前の敵を優先してくれた事も。
挑発するような言葉も全て、私を奮い立たせるためのものだという事も。
 全部、わかってしまっているのに。
なんでもない顔をして、そんな台詞を口にするこの人が、たまらなく憎らしい――。

 無我夢中で必死で杖を振るっているうちに、いつの間にか戦闘は終わっていた。
杖を支えにはぁはぁとすっかり上がってしまった呼吸を整える。
……背中合わせ、すぐ後ろで聞こえる同じような息遣い。
でもそれは自分のそれよりもずっと苦しげで。
私は意を決して後ろを振り向いた。
「どうした、アニー?」
 視線を感じてあの人もまた、振り返る。
途端にさっきまで聞こえていた苦しげな息遣いは消える。
本当になんでもないという、涼しげな顔であの人は私を怪訝そうに見返す。

――ああ、また。この人は。

私は苛立ちを抑えきれぬままに、無言で地に癒しの方陣を描く。
「ライフ・マテリア!!」
 やや乱暴に吐き出した言葉にも、方陣はいつもと同じ優しい光で応え、あの人の傷を癒していく。
 あの人は一瞬驚いたような顔をして、それからすっと、小さく頭を下げた。
「……すまない、感謝する」
「勘違い、しないで下さい。あなたを助けたわけじゃありません。
今あなたに倒れられたらマオも、ヴェイグさんも、みんなが困るんです。
あなたに復讐するのはこの旅が終わった時だって、私は決めていますから」
 それにその傷は私のために出来た傷じゃない!!
思わず叫びそうになるのをぐっとこらえる。
それは、この人を憎み続けるためには認めてはいけないことだったから。
「ああ、そうだったな。……ありがとう」
 なのにこの人は。
棘のある私の言葉にも変わらぬ感謝の意を告げて。
私は何も言えなくなって、たまらずに彼に背を向けた。
もう、彼の顔もその巨躯も、視界に入ることはない。
 それなのに。
さっきまで彼に触れていた背中の熱は、いつまでも、消えてはくれなかった。