このあたりの下級市民の住宅街の中でもいっそうボロボロなはずの孤児院は、
思いのほか損傷もなく、これからも少し修理すれば使えるレベルだった。
その事実にホッとしたエィルとテイルは、
外もこんな物だろうと安心し、ドアを開け放った。
まだそこまで暗くなっていない空。
その先の光景は。
瓦礫の山が堆く積まれた廃墟だった。
「・・・・・・」
一同が、絶句する。
三千世界が、瓦礫の山。そんな幻想を抱かせるには十分の、見渡す限り瓦礫、瓦礫、瓦礫。
まともに建っている家屋は、ここくらい。
生活臭のある木片もあれば、全く使われた様子のないティーカップの欠片まである。
それは、きっと人々が生きてきた証なのだろう。
そして遠くからは、訳もわからず泣きじゃくる子供の声や。
体が潰れて獣のような悲鳴しか上げられなくなった人の呻き声や。
我が子を思い身代わりになって死んだ母の元で絶命する子供の亡骸や。
とにかく、この世の阿鼻叫喚を凝縮したかのような世界が広がっていた。
いや、確かに生きている、怪我もなく生きている人もいるのだが。
その地獄の前に、ただ呆然と立ちつくすしかなかった。
「っ!」
こんな物子供には見せられないと思い、テイルは急いで教会のドアを閉めた。
からん。
いつでも変わらない、無機質な音が響いた。
ドアの、ベルの音だった。


「はあっ、はあっ・・・・」
エィルの動悸が激しい。
運動もしてないのに、もうすでに何十qも全力疾走した後のような気持ち。
きもちが・・・・・悪い。
激しい嘔吐感。そのまま吐きたくなったが、子供達のいる前なので無理矢理止めた。
子供達の目には、何も映っていなかった。
ただ、受け入れることなどこの年では出来ない地獄が脳裏に焼き付いただけ。
一生、精神的外傷として残りそうなイメージが刷り込まれただけ。
他に何かを考えることなど、小さな子供達には出来なかった。
大人ならば、何か自分に嘘を付いてその気持ちを誤魔化すこともできただろう。
しかし、子供にはそんなことは出来ない。
なぜなら、純粋だから。
大人になるというのは、純粋さと賢さを取り替えることだから。

そういう意味では、エィルは子供よりだった。
今にも吐きそうだ。その気持ちは、同情というよりも、むしろ悲しさに近かった。

そういう意味では、テイルは大人よりだった。
あの光景より、これからどうするかを考えている。食事。金。この状況でどうにかなるのだろうか。

そういう意味では、メトはどちらよりでもなかった。
これから自分はこの不幸に対して何が出来るかを考えていたから。自分に出来ることはなんだろうか。

「生きて行くには食料が必要ね。調達、しなきゃ。」
テイルが、そう言った。
泣きじゃくる子供達を無理矢理寝つかせ、今は三人で今後について話し合っている。
「何か出来ないでしょうか・・・・」
エィルが沈んだ様子で呟く。
「他人の心配より、まずどうやってこいつらを養うか、よ。問題は。」
テイルがエィルの方に手をやり、そう言い聞かせる。
「まぁ、それがあんたのいいところでもあるんだけどね。」
付け加えるようにテイルが素直に感想を漏らした。
『とりあえず家屋についての問題はありません。食料は・・・・まぁ、私が何とかしましょう。』
メトがスケッチブックに書いた。
「え・・・?外は瓦礫の山、いっくらおまえさんが金持ちだったとしても、今は金でどうにかなる問題ではないぞ?」
テイルがすっとんきょうな声を出して疑問符を付ける。
『まぁ・・・多分何とかなるでしょう。季節的にもあまり風邪を引くことはなさそうですし。』
確かに今は初夏なので、風邪を引くほど寒くはない。
実りも季節柄、そこまで悪い時期でもない。
極寒の冬に起こったことだったら、思っただけでも寒気がする、とテイルは思った。
「・・・他人のあなたをここまで巻き込んじゃって、ゴメン。
けどよろしくお願いするわ。ネコの手もかりたい状況で、こんなに心強いことはないもの。」
テイルが正直なところを口にする。
「さて、よろしくお願いしますね、メトさん。えーっと、今日はもう寝ませんか。」
エィルがメトの手を握った後、そんなことを口にした。
「じゃあ、そうしましょうか。」
テイルの同意に、メトもうなずいた。
そして、子供達に抱きつくように三人は寝た。


夢を見た。
肉塊がうごめく悪夢。
死んだはずの人間だった数多の塊が蛆虫のように一カ所へと固まっていく。
それは、まるで地獄で死者が救いを求めて一つの物に集まるようす。
つまりそれは、地獄絵図。
ちょっとしたエゴにより頭を吹き飛ばされた物は、ちょっとしたエゴにより再生する。
しかし、その過程は。
人の精神を狂わせるには十分すぎるだけの煉獄。
繰り返し、繰り返し、同じ夢を見る。
そうして蘇った物と、蘇らせた者は壊れる。


朝。
メトは目が覚めると汗をグッショリとかいていて、激しい不快感に襲われた。
借りた寝間着をここまで汗びっしょりにしたことにより、
何となく悪い気持ちになっているようでもある。
「あ、おはようございます。」
すでに普段着に着替えており、どうやら今起こしに来てくれたところらしい。
と、そこまで考えたのは良いのだがまだメトは寝ぼけており、
「あ、おはよう・・。」
と『言葉』で、返事をしてしまった。
そして、しまった!という顔をしてあわてて口をつぐんだ。
「あ、喋ってくれましたね♪」
エィルが嬉しそうな顔をしてメトを見る。
あわてたままメトは手を振り回してスケッチブックを捜した。
ゴン。
鈍い音がした。
ちっこいのの頭に手をぶつけた。
「・・・・・・うう・・・・」
メトが痛そうにうずくまって呻き声を上げた。
ちなみにちっこい少年は、石頭だった。


昨日調達した果物の残りが、今日の朝ご飯だった。
すでにメトが着替え終わる頃には全て準備がされてあって、皮もむかれていた。
「いただきまーす!」
昨日のことなど覚えていないかのような、明るい声が響く。
メトも急いで椅子に座り、果物に手をかけた。
「ちょい、メト。」
すでに座っていたテイルがメトに話しかけた。
メトはスケッチブックを持っていなかったので顔をそちらに向けて返事の代わりにした。
「食料の調達は、あんたとエィルに任せるわ。私はこいつらの世話と、ここの修理するから。」
テイルの提案にメトはこくんとうなずくと、果物にかぶりついた。


「行ってきますね。」
エィルはメトと一緒に外に出ようとドアに手をかける。
「ああ、行ってらっしゃい。」
テイルがひらひらと手を振る。
『行ってきます。』
メトもスケッチブックに書き込んだ。
ちっこいの達に外を見せないように、二人はこそこそと外に出た。
その姿を見てテイルはフウッ、とため息を付いて、部屋に戻った。


外は相変わらずの惨状。
吐き気を押さえるだけでエィルは精一杯だったが、昨日のような阿鼻叫喚は聞こえなくなっていた。
・・・・まだかろうじて生きていた人たちが、他界したせいかもしれない。
それを思うと、メトまで気持ち悪くなった。
怪我一つない二人を、舐めるような視線で見る人がいる。
それも、数人ではない。
生きている人々全てが、二人を見た。
それは、大切な人を失った者の、失っていない者に対する嫉妬なのだろうと二人は想像する。
死者のよう・・・亡者のように、孤児院に集る人もいる。
ドアには鍵が閉められているため入れないが、確かに全てが瓦礫になった中、ぽつんと普通に建っている孤児院は目立つ。
何もなければいいのだが、と二人は同時に中にいる人々を案じた。


二人は会話も無く野山まで来た。
すでに時は遅く、野山にあったはずの木の実や山菜類、まだ青い木の実、毒かすら分からないキノコまで 取り尽くされていた。
そして、あきらめて帰っていく人々すらすでにおらず、明らかに二人は遅かったことを実感した。
「遅かった・・・・ですね。」
分かり切ったことをエィルが呟いた。
それを聞いたメトは、はぁ、とため息を付いた。
そして仕方がないな、ともう一度ため息を付いた。
「ほんとは秘密にしたかったんだけどな〜・・・・」
メトが、『声を出して』ぼやく。
エィルが驚いて振り返った瞬間。
メトがさらに言葉を発した。
「木の実、みのって。」
音もなく、そこにある木のつぼみができ、花が咲き、実が生り、熟す。
そんな木の実ができるまでの過程が、数秒で再現された。
「え!?え!!?あ・・・・えええ?」
エィルは混乱している。あまりにも非、現実的な事が目の前で起きたから。
『・・・・やっぱりびっくりしてるね。』
メトが苦しそうにスケッチブックに字を並べる。
その行為が、エィルの思考をやっとクリアにさせた。
「あ、はい!そりゃあびっくりしますよ、目の前であんな事が起これば!」
エィルが早口でそう言う。
それを見てメトはククク、と笑った。
『・・・想像してた反応と違ったよ。うん、まぁ化け物よばわりされなくて良かった。』
嬉しそうに、メトはそう書いた。
「う・・・むぅ・・・・・」
いい笑顔で返されてエィルは少し戸惑った後、
「・・・・なんか凄いですねぇ・・・・」
と、感心したように言った。
『僕の言葉は“真言”って呼ばれる物らしくて、言ったこと全てが現実になっちゃうんだ。で、うかうか喋れなくて。』
とりあえず、説明をスケッチブックに書いた。
「はぁ・・・そうなんですか・・・・」
エィルが感心した様子で呟く。
それを見て、メトはまた言葉を発した。
「えっと・・・山苺、そこになって。う〜ん・・・そこには・・・じゃあ、アケビ。季節全然違うけど勘弁して。」
言われたとおりに、何もない地面から芽が出、木になり、ツタができ、実が生る。
「・・・・凄いです・・・・・」
どうやらこの力は、季節・時間などの根本的な物すら無視することができるらしい。
「喋ったことが、全てホントになってしまうんですか?」
エィルが先ほど聞かされた答えと同じ事を質問をする。
メトはスケッチブックを開こうとして止め、
「うん。ぜんぶ、ね。」
と、喋った。
その言葉はどこなく切なげで、その場の空気を重くした。
エィルは思う。
言ったこと全てが現実となるのなら、それはどんなに恐ろしいことか、と。
そう、例えば。
冗談で何か・・・・例えば「死ね」と言っただけで。
その人は、死んでしまうのだ。
それはなんて。
なんて、孤独。
喋るという、すでに原始的ですらある人間独自のコミュニケーションが、彼にはできない。
じゃれあうことも。
ケンカすることも。
子供が好んですることは、何もできないのかも知れない・・・・・
エィルはどうしようもなく悲しい気持ちに襲われたが、それは表に出さないようにつとめた。
彼の前ではどんな同情の言葉も、同情の気持ちも通じない気がしたから。
そう言うわけで、話題を変えようとエィルは務めた。
「どうせですから、果物沢山お願いできますか?町の人たちにも配っちゃいましょう。」
その意見に、メトは笑顔で了解した。




次へ