「オギャァ…オギャァ…」
「!?」
 目を閉じた俺の耳に、かすかな声が届く。
目を開ければ、黒い悪魔もまた、その声に気をとられているようだった。
声の元へと無意識に視線を送る。
そこには、倒れ伏した女性の腕の下、泣き続ける一人の赤子。
 悪魔は火球を宿らせた手をその赤子に向ける。
「な…に?」
 何が悪魔の興を引いたのか。悪魔は俺よりもその赤子を先に殺すことにしたらしい。
 どくん。
心臓が、一回、大きな音を立てた。

『ねぇ、あなた。私ね、赤ちゃんが出来たの』

 彼女の声が、耳に蘇る。
何故、と思った。
その赤ちゃんは、今抱えている彼女とともに、彼女の体内から出ることもなく、その命を失った。
俺は、彼女を抱きながら、同時に彼女と俺たちの子供の二人を抱いているも同義だと。
だから、あの赤子は俺とは何の関係もない。
 なのに、何故。
俺は彼女をその場において、赤子の下に走っているのか――。

 火球が迫る。赤子を抱え上げる。
逃げる暇など、ない。俺は赤子をその胸に抱いて――。

 ごぅん!!!!!!!
白い風が、脇を通り過ぎ火球を跡形もなく打ち消した。
「な…!?」
 呆然とする俺の脇を今度は赤い何かが駆け抜けていく。
「これ以上は、させないッ!!!」
 白い輝きを振るいながら駆けるその『何か』は、意外なことにまだ年若い少年だった。
 少年は悪魔から俺たちを守るように間に入ると、剣を構えた。
その隣には、長い黒髪の黒衣の女性。
彼女はすっかり瓦礫の山と化した辺りの惨状を眺めると、あきれたように呟いた。
「だから言っただろう、間に合わないと。馬鹿か、お前たちは?無駄なことに何故わざわざ動く」
「間に合ったよ。遅すぎたけど、間に合った。
彼がいる。あの子がいる。たった一人でも助けられる人がいるなら…ここに来たのは決して無駄じゃない!」
 叫んで少年が駆け出す。
赤毛のその少年は、まっすぐに黒い悪魔へと向かうと剣を一閃させた。
剣は、驚くほどにやすやすと悪魔の右腕を切り落とす。
「ギィアァアア」
 声ともつかない声で悪魔が叫び、翼をはためかせて空へ逃げようとする。
「ダメダメ♪逃がしてなんか、あげないんだからっ」
 この場には場違いなほどの明るい少女の声がしたかと思うと、次の瞬間には悪魔の足に狙い違わず鞭が巻きついていた。
「サンキュ、ミナーナ!
…魔族め…滅びろぉぉぉぉ…ッ!!!!!」
 気合とともに、少年が跳躍する。
白い剣を振りかぶる。
 一瞬の後、勝負はもう、ついていた。


 少年は悪魔を倒すと、後からきた仲間と思われる一団を町に散らす。
生存者の捜索と魔族の残党の掃討。そう言っているのが聞こえた。
 生存者の捜索…それは、おそらく芳しくない結果に終わるだろう。
辺りの惨状を見れば一目瞭然。各地に散ったものたちの表情は暗かった。
 少年が、ゆっくりと俺の元に歩いてくる。
黒衣の女性とピンク髪の少女も一緒だ。
「大丈夫ですか?」
「そう見えるか?」
「…少なくとも、致命的な傷はあるまい。…心の方とやらはどうか知らないが」
 黒衣の女性が無感情に呟く。
「…ふ。ここは助けてくれてありがとう、というべきなのか?」
 心にもない問いを、俺は少年に投げかける。
別に俺一人助かってどうなる。…彼女が助かったのならば、俺は彼に心からの礼を言っただろうが。
「いや…僕はこの町が魔族の軍勢に狙われていることを知ってた。
けどここに来るのは後回しにしたんだ。だから、むしろ見殺しにしたといっていい」
「な…に!?」
 一瞬、呼吸が止まる。
知って、いた…だと?見殺しに!?
彼女は死ななくてもすんだかもしれないというのか!?
俺の心の中に、悪魔に対してすら芽生えなかった憎しみが芽生えかける。
「リーン、いい加減にしろ。それはオマエの傲慢だぞ。
オマエは、やるべきことは、やったんだ」
 そこへ、斧を肩に担いだ少年がやってきた。
「ギスター」
 少年が呟く。
俺は、やってきたギスターという少年に向かって問いかけた。
「それは、どういう意味だ?」
「魔族の軍勢が、一度に複数の街へ向かっているという情報が、俺たちの元へ入ったんだ。俺たちも出来るだけ部隊は分けたが…限界が、あった。だから、一番魔族の軍勢の規模が小さく、距離も遠かったこの街を後回しにした、って訳だ」
 『一番規模が小さく距離が遠かったから』
そんな、そんな理由で見殺しに…!?
部隊としては、それは最善の選択なのだろう。
理屈ではわかる。だが、そんな理由で愛しいものを失って、納得などできるはずがない。
 思わず、拳が震える。
「ギスター、いいんだ。それは僕らの理由にすぎない。
彼にとって僕はこの街を見殺しにした人間。それ以上でも以下でもないよ」
 潔いともいえるそんな少年の言葉すらも、今では怒りの対象にしかならない。
にもかかわらず、少年はさらにその怒りを増幅させるような言葉を吐いた。
「でも、それを承知で僕は貴方にお願いする。貴方の力、僕たちに貸して欲しい」
「なん、だと…!?」
「貴方の類稀な剣の腕。そして、その黒剣の力。
それを、魔族討伐のために僕らに貸して欲しいんだ」
 何を言っているのか、この少年は。
自らの街を見殺しにした相手に力を貸せと?
しかも…この、悲しみが胸を刻むたびに威力を増す忌まわしい黒剣の力を借りたいなどと言う。
「ふざ…けるな」
 呟きが口から漏れる。だが。
「…ふぅ。本当に馬鹿だな、リーン。
助からないはずのこの街へ強行軍で駆けて来ても町は壊滅。助けた相手には結局憎しみを向けられるだけ。まったく、私にはお前の行動が理解できない」
 黒衣の女性の言葉に、一瞬だけ怒りを抑える。
『強行軍』…?
見れば、確かにリーンたちはボロボロ。疲れ果てた顔色。
彼らの乗ってきた馬も憔悴が激しい。

『間に合ったよ。遅すぎたけど、間に合った。
彼がいる。あの子がいる。たった一人でも助けられる人がいるなら…ここに来たのは決して無駄じゃない!』

 先ほどのリーンの言葉が耳に蘇る。
理詰めで街を見殺しにしながらも、それでも助けられる可能性にかけて。
戦いに疲れ果てた体を鞭打って新たな戦場に駆けてきた少年。
自らの選択によって滅んだ街の姿を受け止め、俺の憎しみの視線すらも受け止めて、それでも気丈に立っている。
 その反面、俺は。
ここにいながら、一体、何が出来た…?
彼女を失い、守れなかったその無力を悲しむだけで、仇である魔族の前に生を諦めすらした。
 そして、今も。
理不尽と知っていながら彼を責め、これから自分が出来ることなど考えてもいない――。
「オギャア、オギャァ…」
 その時、思い出したように腕の中の赤子が泣き始めた。
「わ。べろべろべろ、ば〜〜!!!」
 先ほどミナーナと呼ばれていたピンク髪の少女があやそうとするが、泣き止まない。
「…貴方が僕が憎いのは当然だ。でも、今はその憎しみを後回しにして欲しい。
貴方がその赤ちゃんを守るために走ったように、貴方の中にはまだ誰かを守ろうと言う気持ちがあるはずだ。今はただ、そのために剣を振るって欲しい」
「この呪われた剣をか」
「呪われた力でも、それが何かの役に立つのなら、僕は構わない。
そこに意味を見出せるかどうかは、自分自身なんだから」
 言って少年はちらり、と隣の黒衣の女性に視線を送った。
女性は少しきまり悪そうに、少年から視線をそらす。
「だから、一緒に行こうよ。そうだ!この赤ちゃんも一緒に、ね♪」
 リーンの言葉に赤子をあやしていた少女がとんでもない言葉を続ける。
「お前は馬鹿か!?赤子を連れた部隊がどこにいる!?考えなしにも程があるぞ!」
「えーいいじゃない。戦いにつれてくわけじゃないんだし。可愛い赤ちゃんがいればみんなだって癒されるよー」
「俺はミナーナに賛成だ!なんなら、今から俺とミナーナの赤ちゃんも…」
「わ、何言ってるのよ!それセクハラ発言よ、セクハラ!!!信じらんない!」
 何の前触れもなく唐突に始まる大騒ぎにぽかんとする。
リーンはそんな光景に苦笑しながら、
「まぁ…こんな部隊だけど…魔族を倒したいっていう意思は本当だから。
一緒に、来て欲しい」
 そう迷いなく言い切った。
「…そう、だな。俺の悲しみが役に立つのなら…使ってみるのもまた、一興か」
 俺は腕の中で泣き続ける赤子に視線を落とし、呟く。
俺の言葉にいままで大騒ぎをしていた黒衣の女性が驚き、ミナーナとギスターは笑みを浮かべる。
 俺は、ミナーナにそっと赤子を預けると、剣を大地に突き刺し、地に片膝をついた。
そして、しっかりとリーンを見据え、左手を胸に当て、右手で剣の柄を握りながら、言った。
「俺の名はマナスイ。俺の剣、今このときからお前に捧げよう」




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☆あとがき☆
はい、後編でしたー(笑)
いやー外伝は本編よりノリが重く王道シーンが書けるので書いてて楽しいです(そんな!(笑)
いや、シリアスシーン書くの結構好きなんで(笑)


2004/07/25