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二日ほどたった、日曜。やはりよく晴れた、暑い日だった。
油蝉の、五月蝿い鳴き声。たまに木にとまっているクマゼミを見るとなぜか心が和んでしまう、そんな日。八雲は近くに住む祖母の家を訪ねていた。
きっかけは、こうである。

「なー、かあさん。この辺でなんかゆかりのある神様とかっていないの?」
「そんなの知らないわよ。そこどいて、お掃除の邪魔でしょ」
「んー、ちょっと興味あるんだけどさ」
「じゃあ、お母さん・・・ああ、おばあちゃんのことよ、に聞いたら?」
「詳しいの?」
「少なくとも私よりはね。ほら、だからさっさとどきなさい」

と、いうわけで自転車こぎこぎ(マウンテンバイクはお釈迦となったから母親のママチャリ)、徒歩30分自転車12分の祖母の家。
元々この辺りは都会ではなく、農村より少し開けたところ、という場所であるため、30分も歩けば市街地からすぐに田園風景が広がるのだ。
「ばあちゃーん、いるー?」
チャイムも無い、昔ながらの木の家。八雲が子供の頃からすでに廊下は歩くと軋むほどだった。
「入るよー?」
母親が一緒にいるときなどは結構ずかずかと断りも無く入ってしまうのだが、一人だとどうもそういう事がしにくい。玄関口で声を張り上げる八雲。
「おお、やくもちゃんかえ。どうぞ、どうぞ」
小さな声が聞こえた。それでは、と戸をあけて上がりこんだ。
畳の部屋の奥のほうで、老婆が一人、佇んでいた。
「いらっしゃい、久しいねぇ、やくもちゃん」
のんびりとした口調で喋る祖母。
「ひさしぶり、ばっちゃん」
確かに久しぶりだった。正月に家族(両親と妹)と訪れた時以来ではないか。
「今日はどうしたかね?なにか、あったのかい?」
「ん、ああ。この辺にゆかりのある、神様っているのかな、って話が聞きたくて」
祖母はゆっくりとした動作で戸棚から茶筒を取り出し、急須にお茶葉を入れた。ポットからお湯を出し、持ってくる。
「あ、ごめん」
ほうじ茶の入った湯飲みをもらい、頭を下げる。
「で・・・なんだったかね?」
「えっと、ゆかりのある神様について」
「あぁ、そう、そう」
こくこくと頷いてお茶をすする。机の上の平たい缶から、謎のナッツ類を取り出す。
「ゆかりのある神様・・・というと、山神様かぇ」
「山神」
あの、カセンが言っていた、山神のことだろうか。
「何か、逸話でもあるの?」
「山神様の、お話は・・・」
えええと、と思い出すように頬を掻く祖母。
「そう、そう。昔々、山神様が、人里に、下りてきました。しかし、あまりにも、人間が強欲なことに嘆いて、今までお守りしていた村を、捨ててしまいました。その村は、すぐに滅んでしまい、山神様も、行方知れず・・・そんなお話」
「・・・・」
その話によると・・・山神はまるで・・・被害者のようだった。
「そして山神様を、祭るためにね、この村には、小さな御社があるの」
「へぇ・・・」
「私が分かるのは、これくらいねぇ・・・」
八雲は、もう一つ聞きたい話があった。
「じゃあ、もう一つ」
「なんだね?」
「この辺りに・・・河神様がいたって話、ある?」
祖母はまた、何かを思い出そうとするような仕草をした。
「・・・河神様・・・知らないねぇ」
少しがっかりする八雲。カセンについての情報は、なかった。
「・・・そっか。ありがと」
八雲はそれからしばらく、祖母とお茶を飲んでまったりと過ごした。


帰りに、例のガードレールのところに言ってみる。
「・・・ここで、落ちたんだよな」
確かにガードレールが少しひしゃげていた。自分が衝突したんだなぁ、となぜか感慨深い物を感じる。
「・・・」
せっかくここまできたんだ。会いにいこうか。
いや、どうだろう。まだ何も分かっていないじゃないか。まだ早い。
葛藤。しかし頭では悩みつつも、自転車のスタンドを立て、鍵をかけている自分に苦笑する。
・・・・行く、か。
ガードレールを飛び越え、崖を滑り降りた。


「て、ててて・・・」
八雲は尻餅をついた。結構痛かった。
「・・・結構高いなぁ」
降りてきておいてなんだが、やっぱり結構高い。次からはもう少し別のところを探そうとため息をついた。
「・・・あれ」
しかし、変だった。
前は落ちたら、すぐに小川があった。しかし、今回は無い。
―――――――場所、間違えたか?
そんなはずは無かった。確かに、八雲が二日前落ちたその場所だった。
・・・じゃあ、なぜ、ない。
「・・・そんな・・・嘘だろ?」
夢?そんなわけ無い。あんな壮大な夢を見るほど自分の頭は呆けちゃいない。じゃあ、どうした。
「・・・『隠した』?」
人はそれを、結界と呼ぶ。結界には二種類あり、外界から隠す結界、内に作用する結界の2種類がある。今回のケースは前者の典型なのだが、そんな事を八雲が知るはずも無く。
「・・・なんだよ、それ」
酷く――――――――――――絶望した。


「・・・・」
じーりじーり。油蝉とは違う空蝉の鳴き声。それを聞くだけで体力が磨り減る。先ほどから、ずっと森の中を歩いている。もしかしたら見つかるかもしれない。もしかしたら、またカセンと会えるかもしれない。そんな儚い希望を抱きながら。
まだ、まだだ。勘違いかもしれない、自分の勝手な思い込みかもしれない。自分が勝手に川の場所を間違えていただけかもしれない。だから、きっと見つけてみせる。
すでに服は汗だくだった。辛い。喉も渇いた。でも・・・頭をよぎるのはあの清流を探そうというその一点のみ。
さっきから同じところをぐるぐる回っている気がする。ぐるぐる。ぐるぐる回る。
「・・・つ、疲れた」
日はそろそろ高くなって、お昼時なはずだ。おなかも空いた。
少し休憩しようと思い、木にもたれかかる。肺の底から濁った空気を吐き出し、森の空気を吸い込む。
・・・疲れた。
目を閉じる。ずるずると腰が落ち、尻餅をつく。
いつのまにか、意識は遠くなっていった。

跳ね起きた。
―――――――やばい、何分眠っていたか。
空を見上げる。安堵のため息を吐き出す。
・・・・よかった。多分30分くらいのもんだろう。
しかし、おかしなことが一つあった。
「なんだ、これ」
目の前に、なにか怪しげに発光する光の玉があった。
ゆらゆらと緑色に薄くゆれ、今にも消えそうな光の玉。
「・・・」
指を突っ込んでみる。貫通する。温度も無く、触った感覚も無い。
「幽霊みたいなもんか・・・?」
光の玉が、ゆっくりと動き出す。そしてすぐ止まり、ゆらゆら揺れる。
「・・・まぁ、こういう時の反応としては・・・ついていくんだろうな」
しばらく寝ていたため足元がふわふわしておぼつかないが、光の玉もゆっくりなのでなんとかまにあう。八雲は素直に光の玉についていった。

着いた先は、見覚えのある場所。
「・・・ここは」
山神の、洞窟だった。
「なんで、こんなところに・・・?」
光の玉は空中でくるりと一回転する。
「おい、なんでここに連れてきたんだよ」
山神の祠。あまり良いイメージはない。むしろ・・・あまり来たくは無いところだ。
しかし光の玉は、音も無く森に溶けるようにして消えてしまった。おいてきぼりをくらい、呆然とする八雲。
「・・・まぁ、ここからなら帰り道分かるけどな・・・」
ため息をつく。
と、そこで、ふと気づいたのだが。
「・・・花束」
洞窟には、花束が添えられていた。
どうやら野草の類のようだが、しかし色とりどりの花で構成されたそれは、中々きれいだった。かわいいラッピングもしゃれたリボンも無く、ただ、気持ちだけの花束。
なんでこんなものがここにあるのか、八雲は考える。
「・・・・」
誰かが、供えた花。そんな思考がよぎる。確か山神は、失踪したと聞いた。それは失踪ではなく、死んでいるのだとしたら、花が添えられるというのは納得できる。
「だとしても、誰が、って話だよなぁ・・・」
そもそも、それ以前の問題に気づく。
「神様って、死ぬのか?」
「死ぬぞ」
一人事に返事が聞こえ、八雲は度肝を抜かれた。驚きのあまり腰を抜かすほどに。
「カセン」
カセンが、立っていた。一瞬遅れて、嬉しさがこみ上げる。しかし次の言葉で、その気持ちも沈んだ。
「何故ここにいる」
見るからにカセンはいらついていた。八雲にしてみればなぜいらついているのかは分からない。しかしカセンにとっては当然のことだった。来て欲しくないから結界を張り、来て欲しくないから来るなといった。だというのにこの男はまた来た。
「・・・貴様・・・結界を破る術を心得ているのか・・・」
もちろん、そんなものもっていない八雲。
「成る程・・・其れならば我が見えることも説明できる。貴様、何が目的だ」
敵意丸出しにたじろぐ八雲。そしてもちろんのこと冤罪である。
「え、いやっ!?っていうかそもそも結界って何!?」
怪訝そうな顔で見るカセン。とりあえず、何か喋ることにした。
「・・・結界というのは外と内を隔絶する法で内向と外向に分けられ・・・と、そんな事も知らん人間が破れる筈が無かろう!」
説明しようとしたが、途中で腹が立ったらしい。八雲的にはすごく困るのだが。
「いや、だって、俺・・・川が見つからなくってさまよってたら・・・」
どうしようもなく、とりあえず説明しようとする八雲だが。
「そしたら光の玉がなんか出てきてそれについて来たらここに来た――――――――って嘘くせーーーーー!!!!」
なんか余分な事を付け足して、自ら墓穴を掘るのだった。
「・・・嘘臭いな」
「ぐはっ」
しばらく沈黙、30秒ほど。気まずかった。
「・・・説明、苦手なんだよ」
ぼそりと、八雲が呟くように言った。
はぁ、とため息。心底呆れたような響き。
「・・・貴様が嘘をついていないということは、理解した・・・」
「・・・そりゃ、ありがとう」
信じてもらえたのか、話を進めるために渋々折れたのかは微妙なところだったが。
「それにしても・・・何故、ここに現れた」
仕切りなおし。八雲にすれば、ここからが正念場である。八雲の伝えたい事は、一つ。
――――――――――――――――君と、話がしたい。それを・・・伝ることができれば。
「何故って・・・何故って・・・・散歩?」
(俺のバカ――――――――――――――――!!!)
ばかーーーーー
ばかーーー
ばかー
心の中でエコーまで再現されるほど、見事な内心一人つっこみだった。
「そんなわけなかろう」
おまけに相方は冷静だった。これではコントにならない。
「ごめんなさい、嘘つきました」
「・・・先ほどの言葉、訂正しても良いか?」
「だって言えないだろっ!?話がしたくて来たなんて恥ずかしいことっ!?」
逆ギレ。
「・・・言っておるが」
――――――――――――――撃沈。
「・・・」
「・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「八雲とやら」
「は、はいっ!?」
「何故・・・貴様は我に会話を求める」
その問いは、根源だった。この物語の、根源に当たる部分。
―――――――――――人と神は、恋をした。
そうすると―――――――――どうなる。
1万年前に起こった一つの出来事と、現代で起こったこの出来事を繋ぐ唯一にして無二の鍵。
―――――――――――――――――――。
「・・・多分・・・好きだから」
ここで彼が偽れば――――――――――全ては変わったのだろう。
しかし八雲の語彙には、偽って誤魔化しきれるだけのものが無かった。そして
―――――――――正直に、言ってしまった。
「そうか」
カセンは、無表情だった。何かを押さえ込んでいるかのような、何かを押し殺しているかのような。誰かを殺した。自分自身を殺した。感情を殺した。あとはその体のみ。
「・・・結界を解く。川に案内しよう」
「・・・それじゃあ」
「貴様の望み通り、会話をしてやろう。その上で・・・その上で、決めることだ」
「?」
その言葉には、理解できない韻が含まれていた。しかし案内されることが嬉しく、八雲は浮ついていた。だからこそ、その小さな一言を聞き取ることができなかった。
「――――――殺す価値があるかどうか、など」



カセンは道中、道の脇にあった小石のような物を数個どけた。するとしばらく歩いたところにあれだけ探して見つからなかった、あの清流が。
「・・・そんなの、ありか?」
「それが結界という物だ」
こともなげに斬って捨てるカセン。
「到着だ」
川につくと、カセンはなんの前触れも無く流れに飛び込んだ。その様は投身自殺などという無様な物ではなく、美しく、それこそ流れるような動作。
そしてしばらくすると、川から浮かび上がってくる人形。カセンだった。
「・・・ここが、我の住処『河殿(かでん)』だ。本来ならば何人たりとも入ることは許されん。我が招待した物など・・・後にも先にも主だけであろう」
「・・・・」
・・・ここが、カセンの城だった。そしてその城に唯一招待された、自分。その事実が素直に八雲には嬉しかった。
「・・・どうした、会話をしに参ったのだろう。ならば語れ。語り部となりて我を退屈させるな」
八雲は正直、あまり会話が得意なほうではない。会話能力は別に人並みなのだが、自分の気持ちを、上手く言葉で表現することが苦手だった。だから自然、感情表現はもっぱら顔でおこなってしまう。そして今の顔は・・・
めっちゃ、困っていた。
(やばい・・・会話するったってそういえば何も考えてないよ何を話せばいいどうすれば良い俺はなんでも聞きたいけどあんまり聞き過ぎると失礼じゃないのかじゃあ俺のことも話そうか?いやそんなこと聞いても面白くないだろう・・・・ぶつぶつ)
「・・・困っている様子だな」
「・・・分かりますか」
「主は感情が顔にで過ぎる」
そこで、閃いた。
「あ・・・その、『主』ってやつ」
「主とはお主のことだが?」
「いや、そうじゃなくて。せっかくなら・・・八雲って、呼んで欲しい」
とくに意味のある申し出ではない。なんとなく、名前で呼んでほしい、そう感じたから言っただけのこと。
「・・・・」
しかし、カセンはそれを渋った。名前には、感情が宿る。正であれ負であれ、その者に対して思い入れを抱かせる。疑う。それは故意的なものなのか、それとも気づかず言っているだけなのだろうか。わからない。この男の本意が・・・・分かるようで、手に取るように分かるようで、分からない。
「・・・どうか、した?」
そんなことに気づいてなどいない八雲。それは自分を相手に植え付ける一つの有効な手段だということなど露知らず。
「・・・了承した、八雲よ」
カセンは、それを呑んだ。思い入れがなんだ。むしろ結構ではないか。この男を量るためには。
しかしそんな事には気づかず、
「・・・ありがと」
八雲ははにかんだような、しかし心底嬉しそうな笑みを浮かべるのだった。
―――――そうだ。一つ一つ、伝えていこう。機会はできたんだから、大丈夫。
八雲は、覚悟を決めた。
―――――カセンを、楽しませよう。上手じゃなくていい、少しでも・・・

そこからは、八雲は必死だった。
眉一つ動かさず、カセンは八雲の話を聞く。だから八雲は、ひたすらなにかを喋ろうとする。
時につっかえ、時にどもり、時に困りながら、それでも何か面白いことを、と脳をフル回転させて喋る。
話は、かなり無茶苦茶だった。
まずは、自分の身の回りのこと。八雲の家―――――――神道家は、母親、妹、自分で構成されている。父親は単身赴任で都会に。そこから、妹の話。仲の良い、しかし少しませすぎででき過ぎな妹。妹は俺のことをあに、と呼ぶ。で、妹のやった滅茶苦茶な事件の話。あれは大変だった・・・ちょっと戻って、父親の話。父親は今薬剤師をやっており、色々あって東京まで飛ばされてしまった。薬剤師といえば、最近の医療ミスのこと。あれの煽りで親父は被害にあったんだが。人間だからミスもするっての、まぁそうも言ってられないのが医者って仕事なんだけどね・・・親父は医者じゃないけど。とか。
「・・・医者、医療か。昔はそのような言葉、無いようなものだった」
八雲は単語一つ一つに注訳をつけながら話す。たとえば、医者とは病気を治療する人、と答えた。
「今は人間は、80年や90年生きるからね」
それでも、今だに人は死ぬのか。あたりまえだった。人は途方も無く――――――――死ぬ生き物なのだから。カセンの顔は、知らずと曇る。
話題は飛んで。
「そういえば・・・今と昔って言葉違うんだろうけど、なんで会話できるんだろ?」
「神は万物と会話できる。其れ位の技能が無くては神を奢るなど笑止千万」
「・・・分かりにくかったけど、ようはなんとでも会話できるって事だね?」
「左様。古来万物には神が宿り、世界、即ちこの国は八百万の神に守護されてきた。もっとも」
ちらり、と八雲の目を見る。
「皆、高天原の彼方へ去ってしまったがな」
「高天原か・・・」
「ほう、知っておるのか」
「ま、まぁ」
カセンのおかげで興味が湧いて調べた、などとは当然言えない。
「八百万の神が混在する葦原には異教も異郷も異境も無くて然りであったが・・・・あまりにも人は、祀るべき神と英霊とを忘れすぎた。この国の空気はすでに我々の肌には合わぬ」
「・・・」
「それでも一部の物は未だ神無月に出雲大社へと集う・・・真に酔狂な物だ」
「じゃあ・・・なんでカセンはここにいるんだ?」
せつな・・・・刹那。

空気が、凍った。

「・・・・少し喋りすぎた、か」
今まで表情を一つも崩さなかったカセンがここに来て、ため息のような物をついた。
そのため息で、凍った空気が弾ける。まるでそんなもの、最初から無かったかのように。
「・・・そうかもね。だけど」
「・・・?」
「たのしかったよ」
・・・・沈黙。
数秒の沈黙の後。
「そなたは、『普通』なのだな」
「・・・?」
「否・・・気にするな。今宵はこれにてお開きだ」
ぽちゃん。水飛沫。
「あ・・・」
さよならを言う暇さえ与えられず、八雲は一人、取り残された。
水面は揺れ、そこに先ほどまで立っていた人形の気配など欠片も無く。
けれど、八雲はその水面に向かい、小さく、語りかけた。
「またきて、いいか?」
――――――――――――――好きにするがいい。
そう、聞こえた気がした。




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