麻生信也



その人は、高校の教室の隅っこの席にいた。
誰も近づけない雰囲気を持っていた。
彼女の名前は、朱鳥珊(しょちょう・さん)。
俗にこう言うのを一目惚れというのだと思う。
その人を見た瞬間、この人に話しかけなきゃ、と思った。
その人は、何も見ていなかった。
虚。
消えてなくなりそうな、誰も近づけない雰囲気。
そんな彼女を、一目見た。

高校一年。
とりあえず適当に入った高校。
それなりに成績の良かった僕は、まあそれなりの高校に入ったわけだ。
この高校は、制服の制度も甘く、多少の改造くらいなら許されてしまう。
上着なども自由だ。
まあ、僕はそんなことをする柄ではないけど。
別に意識しているわけじゃないけど、僕は、『人が良い』らしいから、普段から友好関係にも困っていない。
まあ、別に中学とそんなに変わるわけでもない。
距離も似たり寄ったりだし。

入学数週間。
クラスにも慣れ、中学が同じだった奴も見つけた。
まあ、いたって普通な滑り出しだと思う。
そして、今まで気にしていなかった彼女が、何となく目に入った。
彼女は、朱鳥さんというらしい。
中性的な美人。
髪の長さは腕の付け根くらいまでで、黒髪。
何より変わっているのが、上着として着物を羽織っている。
前を閉じずに、制服の上に着物を羽織っているのだ。
こんな格好をしているのは、上着が自由のこの高校でもこの人くらいだ。
しかし、模様はないに等しいし、色も紺色の地味な物なので、思いの外目立たない。
いつでも怠そうに外を眺めている。
見ていて、ハッとした。
ああ、きれいだな、と。
初めて自分から人に話しかけようと思った。
別に思い当たる何かがあるわけでもない。
確かに近寄りがたい雰囲気で、こちらが何か言っても無視されそうでもある。
現に、彼女に近づく人は誰もいない。
それでも、なんだか気になる。
今度機会があったら、話しかけてみよう。


朱鳥珊



・・・・特にすること無し
帰るとするか。
終礼が終わったところ。
特に何かを考えるわけでもなく、筆箱にシャーペンを入れる。
筆箱の中では運悪く、カッターの刃が出ていた。
・・・・切れた。
血が出る。
でも、それがどうした。
とりあえず、人差し指から流れた血をなめる。
錆びた鉄の味。
甘いような、不思議な風味。
結構たくさん血が出ている。傷は思いの外深いみたいだ。
しかし、それには何の意味もない。
感じることもないのだから。

下校しようとして足を止めた。
そういえば、雨の音。
しとしとしとしと。
傘は持っていない。
別に寒いなどと感じることはないが、雨に打たれて帰るのはうっとしい。
学校にいるか。
教室で寝ていれば問題ない。
そのうち雨も止むかも知れないし、止まなくても何かが変わるわけではない・・・・・
教室に行った。
教室には、人はすでに一人もいなかった。
そういえば今日はうちのクラスは終礼が終わるのが一番遅かったようだ。
静かで良い。
自分の椅子に座る。
突っ伏して、適当に寝ることにした。


麻生信也



しまった、傘をわすれてた。
帰ろうとして、雨が降っていることと、家から傘を持ってきていたことを忘れていた。
教室の前の傘立てまで小走りで取りに来る。
傘を取りに来て、そのまま足を止めた。
教室に、朱鳥さんがいる。
・・・・・寝ている。
とりあえず、教室の中に入っていく。
人が二人しかいない教室。
とても不思議な空間だな、と思う。
まだ、春に入ったばかり。
こんな格好で寝てたら風邪引くぞ、と思い、ガクランの上着をかけてあげる。
・・・余計なお世話かな。
まあ、やりたいと思ったんだから、やってあげればいいかな。
この人とは、一度お話ししたいと思っていたし。
とりあえず、本でも読んで待っているか。
・・・・
ハハハ、かなり勝手なことやってるな。
まあ良いか。

信也はとりあえずカバンから本を出して、読み始めた。
学校内には、人の気配は全然しない。
静寂が、気持ちよかった。


朱鳥珊



どれくらい寝たかも分からないが、目を開ける。
頭はぼんやりとしているが、意識は一応しっかりしている。
しとしとしと。
雨の音はまだする。
止まなかったのか、と思い、もう少し顔を起こす。
少し離れたところに、男子生徒が一人座っている。
誰だろうが興味はない。
しかし、着物の上に何かがかけられていることに気づき、それがガクランだと気づく。
「あ、起きたんだ。」
本を読んでいた男子生徒が声を上げて、持っていた本を下ろし、こちらを見る。
・・・・興味がなかったから、名前を思い出せない。
同じクラスの奴だった気はする。
とりあえず、ガクランを差し出す。
「あ、勝手にかけてごめん。冷えないかな〜、って思って。」
何でこいつは私に話しかけてきたんだろう。
分かるはずもないが。
「名前は何という?」
とりあえず、率直に聞いてみる。
「・・・アハハハハ。僕は麻生信也(あそう・しんや)です。」
苦笑いをした後、にっこり笑ってそいつは答えた。
こんな学校で、本当に珍しく普通に制服を着ている。髪を染めることもない。
小さいだえんの眼鏡が、愛嬌のある顔を作りだしている、と思う。
それを抜きにしても、顔の造形はなかなか良い方である。
「それで。麻生、なにか用か?」
「うん、傘とりに来たら朱鳥さんが寝てたから。どうしたのかな、と思って。」
彼は普通に答えた。
「傘がないから止むまで寝ていただけだ。」
私は、そのままズバリ答える。
「あ、だったら傘に入れていってあげようか?」
麻生はそういうと、傘を持ってきた。
大きめの傘。これなら確かに何とか二人は入れるかもしれない。
「では、お言葉に甘えようか。」
何も考えずに、私は同意した。


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